22代王・正祖(チョンジョ)が病をわずらったのは1800年の6月下旬だった。旧暦の6月下旬というと、新暦でいえば7月から8月にかけての頃である。蒸し暑い日が続き、正祖は「毎日よく眠れない」と嘆いた。 脈が弱くなってきた 1800年6月27日、内医院(ネイウォン/王族を診察する医院)の高官だった李時秀…
韓国時代劇『華政(ファジョン)』の後半では、主人公の貞明公主を中心に、光海君と綾陽君との関係が描かれていた。この3人は、王族の中でどのようなつながりがあったのか。改めて説明していこう。 臨海君と光海君 14代王・宣祖(ソンジョ)の最初の正室は懿仁(ウィイン)王后だったが、2人の間に子供はいなかった。…
写真=韓国陸軍公式サイトより 現役兵として軍務に励むにしろ、義務警察隊員や社会服務要員になるにしろ、兵役に就いた人はかならず新兵訓練を受けなければならない。現役兵なら5週間、義務警察隊員や社会服務要員なら4週間だ。この新兵訓練の中で一番の恐怖は? 避けて通れない訓練 覚悟して兵役に就いたとしても、新…
第3回 仁祖の策略 1645年4月、仁祖の長男の昭顕(ソヒョン)は長い人質生活から解放されて8年ぶりに母国に帰ってきたのに、わずか2カ月で急死してしまった。その遺体は毒殺されたかのように黒ずんでいたという。 策士のように動いた悪女 昭顕の妻であった姜(カン)氏が一番に疑ったのが、医官の李馨益(イ・ヒ…
第2回 仁祖と世子の確執 仁祖の最初の正室は仁烈(インニョル)王后で、2人の間には4人の息子が生まれている。その長男が、世子(セジャ)の昭顕(ソヒョン)であった。しかし、仁烈王后は1635年に41歳で亡くなり、仁祖は二番目の正室として、荘烈(チャンニョル)王后を迎えた。 清に対する復讐心 14歳とい…
第1回 朝鮮王朝最大の屈辱 14代王・宣祖(ソンジョ)は、寵愛した側室の仁嬪(インビン)・金(キム)氏との間に4男5女をもうけたが、その1人が定遠君(チョンウォングン/1580~1619年)だった。彼には綾陽君(ヌンヤングン)という息子がいた。この綾陽君こそが、後の仁祖である。 光海君を強く恨んでい…
2016年に韓国で大ヒットした映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』が今夏日本での公開が決定し、注目が集まっています。そしてこの映画にはプロローグ作品があるということでも話題にもなりました。その作品はアニメ映画『ソウル・ステーション/パンデミック』。この映画も今秋日本公開が決定し、期待が高まってい…
綾陽君は西宮(現在の徳寿宮)の中庭で仁穆王后から光海君の斬首を要請された ついに、光海君の廃位という知らせを聞いた仁穆王后。あれほど願った復讐が成就したのだ。いや、まだ復讐が残っていた。それは、憎き光海君の首をはねることだった。そのことを仁穆王后は綾陽君(ヌンヤングン)に執拗に要請した…
綾陽君は西宮(現在の徳寿宮)の門の前でひれ伏して、仁穆王后の許しを得ようとした 14代・宣祖(ソンジョ)の継妃であった仁穆王后。彼女は、宣祖の後を継いで即位した15代王・光海君によって、父親と息子の永昌大君(ヨンチャンデグン)を殺され、自分も娘の貞明(チョンミョン)公主(コンジュ)と一…
第10回(最終回) 貞明公主の晩年 20歳までの貞明公主は薄氷の上をおそるおそる歩くような日々を過ごした。そんな境遇に耐えたあとは、とてつもない土地を所有する大地主になった。まさに、彼女の人生は波瀾万丈だった。 邪険にされた王女 1603年に生まれた貞明公主は、5歳までは国王の正室が産んだ王女として…