「コラム」康熙奉(カン・ヒボン)の国王毒殺実録2/イ・サン編B

22代王・正祖(チョンジョ)が病をわずらったのは1800年の6月下旬だった。旧暦の6月下旬というと、新暦でいえば7月から8月にかけての頃である。蒸し暑い日が続き、正祖は「毎日よく眠れない」と嘆いた。

脈が弱くなってきた

1800年6月27日、内医院(ネイウォン/王族を診察する医院)の高官だった李時秀(イ・シス)が正祖に聞いた。
「昨日の夕方、殿下を診察しましたが、まるで眠っていらっしゃるように朦朧とされていましたが、今も同じですか。夜もずっとそういう状態だったのでしょうか」
「夜が明けるまでのことをこまごまと話すのは難しい」
正祖は話すのも億劫(おっくう)という状態だった。


医官たちが正祖の脈を取って「脈が弱いようです」と述べた。
それを受けて、李時秀と正祖が服用薬について話し合った。(ページ2に続く)

2017.02.26