朝鮮王朝には合計で27人の王がいた。その名前を見ていくと、王の名の最後が「祖」「宗」「君」の3つにわかれている。それぞれにどんな意味があるのだろうか。 「君」が付いている理由 私たちがいま王の名として呼んでいるのは諡(おくりな)である。 別の言葉では諱(いみな)とも言う。つまり、王の死後に贈られた名…
1506年、暴君・燕山君(ヨンサングン)の最悪な政治に危機感を持った高官たちがクーデターを起こした。彼らはまず、燕山君の異母弟にあたる晋城大君(チンソンデグン)を訪ねた。燕山君の後に王位に就いてもらうためである。 王になることを拒んだ異母弟 晋城大君はクーデター軍に説得されても、次の王位にあがること…
韓国時代劇の『七日の王妃』はタイトルの意味が深い。朝鮮王朝の歴史上、わずか7日間だけ王妃の座に就いた女性が存在する。それが、1487年に生まれて1557年に亡くなった端敬(タンギョン)王后である。 刺客と錯覚 暴君として悪名が高かった10代王・燕山君(ヨンサングン)の廃位を狙ったのは、朴元宗(パク・…
朝鮮王朝の27人の国王の中で、10代王の燕山君(ヨンサングン)は暴君として評判が最悪です。こういう国王がなぜ即位に至ったのか……それはまさに歴史の「落とし穴」と言えるでしょう。 私的感情に左右された「王位の継承」 燕山君(ヨンサングン)は、小さい頃から性格が粗暴で勉強嫌いの問題児でした。 一方、父親…
世宗(セジョン)が1397年に生まれたとき、父親の太宗(テジョン)は波乱の中にいた。彼は世子(セジャ)の指名からはずれてしまったが、異母弟の芳碩(パンソク)を排除して自分が正当な王位継承者であることを力で見せつけようとした。 三男の能力を評価した父 1398年に太宗は「王子の乱」を起こ…
写真=韓国MBC『華政』公式サイトより 1623年、仁祖(インジョ)がクーデターを起こして光海君を王宮から追い出すとき、光海君の悪政として4つの点を糾弾した。果たして、その4つは正当な根拠があると言えるのだろうか。 骨肉の争いには前例があった 仁祖が光海君を糾弾した際の4…
飛鳥寺に今も残る大仏が日本で最古の仏像の1つとされているが、他にも「最古では?」と目される仏像がある。それが善光寺の本尊の「一光三尊阿弥陀如来像」。ただし、絶対秘仏で見ることはできない。 「お戒壇めぐり」 善光寺を訪ねてみる。 現在の善光寺の本堂は1707年に建てられている。間口24メ…
文定(ムンジョン)王后は、息子を王にするという野望を叶えるために様々な悪事を働いた悪女である。13代王・明宗(ミョンジョン)の母親である彼女は、存命中にいったい何をしたのだろうか。 文定王后の野望 文定王后は、中宗の二番目の王妃である章敬(チャンギョン)王后が息子を産んで6日後に亡くなったことで、三…
貞純(チョンスン)王后は、21代王・英祖(ヨンジョ)の二番目の正室となった女性である。彼女は、王妃として政治を自分の思い通りに動かしたのだが、どのような人生を過ごしたのだろうか。 王妃となった貞純王后 英祖には、もともと貞聖(チョンソン)王后という王妃がいた。しかし、貞聖王后は1757年に世を去って…
朝鮮王朝三大悪女の一人に数えられる張緑水(チャン・ノクス)。彼女は韓国時代劇にもよく登場しているが、その人生はどのようなものだったのだろうか。燕山君の側室になっていく過程とその後を追ってみよう。 成り上がった女性 張緑水(チャン・ノクス)は貧しい家で生まれ育った。 成人したあと、王族の屋敷で働く奴婢…