朝鮮王朝19代王の粛宗(スクチョン)の側室だった張禧嬪(チャン・ヒビン)は1688年に王子を産んだ。粛宗にとって待望の嫡男だった。その翌年、粛宗は高官たちを前に驚愕するようなことを言いだした。 妬みが強すぎると王妃を非難 驚愕するようなこととは、粛宗が正室の仁顕(イニョン)王后を廃妃にしようとしたの…
中宗(チョンジョン)は9代王・成宗(ソンジョン)の息子で王子時代は晋城大君(チンソンデグン)と呼ばれた。異母兄は燕山君(ヨンサングン)。暴君と称された兄から執拗にいじめられた。 周囲のお膳立て 燕山君(ヨンサングン)を廃位にするためのクーデターに成功した官僚たちは、燕山君の異母弟の晋城大君(チンソン…
ドラマ『イ・サン』の主人公は22代王の正祖(チョンジョ)である。彼を取り巻く2人の女性に注目してみよう。1人は母の恵慶宮(ヘギョングン)であり、もう1人は形の上で祖母となる貞純(チョンスン)王后だ。 母は世子嬪 正祖が10歳のときだった。 父の思悼世子(サドセジャ)が英祖(ヨンジョ)によって米びつに…
暴政の限りを尽くした10代王の燕山君(ヨンサングン)は1506年9月に王宮から追放された。政変の主導者は、燕山君によって実姉を死に追いやられた朴元宗(パク・ウォンジョン)、左遷の憂き目に遭った成希顔(ソン・ヒアン)。彼らは、次の王に燕山君の異母弟だった晋城大君(チンソンデグン)を擁立した。 &nbs…
朝鮮王朝には27人の国王がいたが、4代王・世宗(セジョン)や22代王・正祖(チョンジョ)のように尊敬される名君もいれば、その逆で、業績を残せなかった国王もいた。その中から5人の国王を選んでみた。 政治を仕切る機会を持てなかった3人 ◆文宗(ムンジョン) 〔1414~1452年〕 5代王…
王位の強奪をめざした首陽大君(スヤンデグン/後の世祖〔セジョ〕)は、1453年に甥の端宗(タンジョン)を補佐していた忠臣たちを次々に殺した。この事件は歴史的に癸酉靖難(ケユジョンナン)と呼ばれている。その次に首陽大君は何をしたのか。 大義名分がない政変 首陽大君側が大臣たちをすぐに殺し…
朝鮮王朝で国王の正式な後継者のことを世子(セジャ)と言うが、国王の座を約束されていながら即位できなかった5人を取り上げてみよう。それは、李芳碵(イ・バンソク)、懿敬(ウィギョン)世子、昭顕(ソヒョン)世子、思悼(サド)世子、孝明(ヒョミョン)世子である。 生を奪われた3人 ◆李芳碵(イ…
最近の時代劇の中では特に高い人気を誇った『100日の郎君様』。なんといっても、ド・ギョンスとナム・ジヒョンの主役カップルがとても魅力的だった。さらに、波乱がたくさん起こるストーリーも面白かった。 写真=韓国tvN『100日の郎君様』公式サイトより ドラマのツボは? 『100日の郎君様』は、ワクワクす…
19代王・粛宗(スクチョン)が張禧嬪に出会ったのは1680年だった、と言われている。張禧嬪は通訳官の親戚というコネで王宮に入ってきた女官である。絶世の美女だったことは間違いないので、艶福家の粛宗は一目で気に入った。 後継ぎを熱望した粛宗 王が女官を気に入って一晩共にすることを承恩(スンウン)と言う。…
1777年7月28日の深夜、即位して2年目の正祖(チョンジョ)は王宮で本を読んでいた。突然、王宮の回廊の上から、瓦を踏む足音が聞こえてきた。正祖は耳をすませた。どう考えても、人間の足音にしか聞こえなかった。 王宮に移転が実行された 「怪しい者が忍び込んできたのか……」 そう察した正祖は警護の者たちを…