朝鮮王朝で国王の正式な後継者のことを世子(セジャ)と言うが、国王の座を約束されていながら即位できなかった5人を取り上げてみよう。それは、李芳碵(イ・バンソク)、懿敬(ウィギョン)世子、昭顕(ソヒョン)世子、思悼(サド)世子、孝明(ヒョミョン)世子である。 生を奪われた3人 ◆李芳碵(イ…
蒙古の侵攻を受けた高麗(コリョ)王朝。政権内には、徹底抗戦を唱える一派がいれば、弱腰の和平を主張する一派もいた。1270年、ひそかに蒙古と手を組んだ文官たちによって武人政権は滅ぼされた。翌年、蒙古は国号を「元」と改めて完全に中国大陸の支配者となった。そして、高麗に対する締めつけを強化していった。 三…
朝鮮半島の国家のことを英語では「KOREA」と言う。この表記は、高麗王朝が由来となっている。高麗はハングルで「コリョ」と発音するが、この音が元になって「KOREA」という言葉が生まれたのである。つまり、ヨーロッパは高麗を通して朝鮮半島の国家を最初に認識したのであり、今も世界は高麗が元になった国名表記…
666年、高句麗(コグリョ)に衝撃が走った。なんと、救国の英雄だった淵蓋蘇文(ヨンゲソムン)が、惜しまれながら息を引き取ったのである。その瞬間が、高句麗の滅亡の始まりだった。 一枚岩になれなかった高句麗 高句麗にとって致命傷だったのは、後継者が育っていなかったこと。淵蓋蘇文の能力はあまりにも抜きんで…
高句麗(コグリョ)は、百済(ペクチェ)や新羅(シルラ)と並ぶ古代の大国として知られている。特に、伝統的に騎馬軍団が強く、ドラマ『太王四神記』の主人公だった広開土大王(クァンゲトデワン)が統治した時代(391~412年)には朝鮮半島の歴史の中で最大の領土を誇った。それゆえに、今でも韓国で広開土大王は圧…
善徳女王は、新羅(シルラ)の学問振興にも並々ならぬ熱意を見せた。640年には、優秀な学生たちを唐に派遣して、唐の有名な学校に入学させてほしいと頼み込んでいる。この時期、唐は多くの優れた儒教学者を都に集めていたので、新羅から派遣された学生たちは、留学先でさぞかし貴重な学問を積んだことだろう。 恐ろしい…
676年に朝鮮半島を初めて統一した新羅(シルラ)には、かつて3人の女王が誕生している。順に、善徳(ソンドク)女王、真徳(チンドク)女王、真聖(チンソン)女王である。 小さいころから頭脳明晰 3人の女王の在位期間を見ると、善徳女王が632年から647年、真徳女王が647年から654年、真…
三国時代の中でも、新羅の軍勢は強かった。その背景には、兵士の精神面の強化に成果をあげていたという事実がある。その最たるものが花郎(ファラン)精神なのだ。一体、この花郎精神とは何であろうか。 勇敢さと忠誠心 そもそも、花郎というのは、貴族的な家庭に育った青年たちの集まりのことだ。彼らは幼…
韓国時代劇の主要舞台となる朝鮮王朝を解説した『新版 知れば知るほど面白い 朝鮮王朝の歴史と人物』(康煕奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社発行)が発売されたのに引き続き、王妃や側室を描いた『新版 知れば知るほど面白い 朝鮮王宮 王妃たちの運命』(同)と、三国時代と高麗時代を紹介する『新版 知れば知るほ…
朝鮮半島の南東部に位置する慶州(キョンジュ)は、まるで町全体が重厚な歴史博物館であるかのようだ。新羅(シルラ)というかつての大国は、この慶州の町と切っても切り離せない。なぜなら、新羅は慶州を地盤として後に朝鮮王朝最初の統一国家に発展していったからだ。改めて、新羅という国の成り立ちを見てみよう。 由緒…