3世紀の中頃には中央集権的な国家の基盤をしっかり整備し、4世紀後半には朝鮮半島の南岸にまで領土を広げることに成功した。こうして百済は、高句麗、新羅と覇を競う三国時代の一角を担うようになった。 豪華絢爛たる王朝文化 当時の百済にとって悩みの種は、南下を狙う高句麗の存在だった。両国は漢江の流域で激しい戦…
古代の朝鮮半島において、激しく覇権を争った高句麗(コグリョ)、新羅(シルラ)、百済(ペクチェ)。この3つの国は歴史上で名高い三国時代を形成したが、韓国の時代劇でよく取り上げられているのは高句麗と新羅の2つである。 忘れられた国 韓国時代劇で高句麗と新羅がよく取り上げられる理由は何か。 高句麗は朝鮮半…
金宗瑞(キム・ジョンソ)といえば、首陽(スヤン)大君が6代王・端宗(タンジョン)に圧力をかけていたとき、その端宗を守り抜こうとした男だった。今でも「忠臣の鑑(かがみ)」として記憶されている。 次代の王を補佐できる逸材 元来、金宗瑞は朝鮮王朝最高の聖君と称された4代王・世宗(セジョン)に見出された逸材…
21代王・英祖(ヨンジョ)の長男は孝章(ヒョジャン)という人だが、9歳で病死してしまった。そこで二男の荘献(チャンホン)が世子となった。彼は頭脳明晰だった。英祖は10代半ばの荘献に政治の一部を代行させ、荘献も期待に応えて民のための政治を実行した。ただし、その過程で利害がぶつかったのが、英祖を支持する…
写真=韓国MBC『華政』公式サイトより 14代王・宣祖(ソンジョ)と仁穆(インモク)王后は、優れた書をしたためることでともに評価が高かった。その2人の血を受け継いだ貞明(チョンミョン)公主(コンジュ)。書の才能が抜きんでていた。生活が苦しく日用品が不足していたのだが、その中でも貞明公主…
写真=韓国MBC『華政』公式サイトより 1603年、仁穆(インモク)王后は14代王・宣祖(ソンジョ)の子供を産んだ。王子ではなく、王女であった。この王女こそが貞明(チョンミョン)公主(コンジュ)だった。貞明公主に弟が生まれたのは、彼女が3歳のときである。仁穆王后が1606年に永昌大君(…
写真=韓国KBS『雲が描いた月明り』公式サイトより 悲劇の熙政堂 朝鮮王朝の正宮だった景福宮(キョンボックン)が、1592年の朝鮮出兵の際に焼失してから1865年まで再建されなかったことから、その間は昌徳宮(チャンドックン)が正宮の役割を果たすことが多かった。 この昌徳宮に熙政堂(ヒジ…
政治から見た朝鮮王朝の一番の特徴は、「王が統治する中央集権国家」だったということです。日本の江戸時代は、幕府が各藩の大名を支配するという封建的な幕藩体制が政治機構になっていましたが、朝鮮王朝は王の直接的な支配が国土の隅々に及ぶ中央集権体制になっていました。 在位期間が短いのは? 朝鮮王朝の頂点に位置…
韓国時代劇『オクニョ 運命の女(ひと)』は朝鮮王朝の13代王・明宗(ミョンジョン)の統治時代の話である。しかし、明宗は名ばかりの王だった。実母の文定(ムンジョン)王后が強権を持って官僚たちを牛耳っていたからである。 19歳上の兄 明宗は1534年に生まれた。父は11代王・中宗(チュンジョン)で、母は…
尹元衡(ユン・ウォニョン)は、取るに足らない人間だった。しかし、自分の力ではなく、姉の権力を利用して成り上がっていった。その姉というのが、11代王・中宗(チュンジョン)の3人目の正室となった文定(ムンジョン)王后だった。 姉が王妃になって運命が変わる 文定王后が中宗の継妃になったのは1517年だった…