仁穆(インモク)王后は光海君(クァンヘグン)にとって継母にあたる女性だった。しかし、2人の関係は後に険悪となった。王位を安定させるために、光海君が仁穆王后の最愛の息子の命を奪ったからだ。 用意周到なクーデター 仁穆王后は、14代・宣祖(ソンジョ)の継妃であった。彼女は、宣祖の後を継いで即位した15代…
朝鮮王朝では国王が絶対的な権力者であったが、実は国王以上に目立っていた王妃が何人もいた。それは、元敬(ウォンギョン)王后、貞熹(チョンヒ)王后、仁粋(インス)大妃、明聖(ミョンソン)王后、純元(スヌォン)王后の5人だった。 朝鮮王朝前期の3人 ◆元敬(ウォンギョン)王后 〔1365~1420年〕 3…
本来であれば王妃にさえなれなかった女性が、最終的に大妃(テビ/国王の母)になって、朝鮮王朝を大混乱に陥れた。それが文定(ムンジョン)王后である。彼女はなぜ、絶対的に強い立場になれたのだろうか? クーデターのおかげで王になった中宗 文定王后は、11代王・中宗(チュンジョン)の三番目の正室であった。 中…
後世において名君と称された21代王の英祖(ヨンジョ)。彼がそこまで評価されたのは、母である淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏の影響が大きい。彼女はドラマ『トンイ』の主人公のモデルだった女性だ。 庶民のための統治 粛宗(スクチョン)の側室になる前の淑嬪・崔氏は、宮廷内の下働きだった。 そのため淑嬪・崔氏は…
朝鮮王朝を彩った27人の王の中で、イ・サンこと正祖(チョンジョ)ほど学問に精通した王は他にいなかった。「学問の道に進んでいれば、大学者になっていたことだろう」。そう評価されるほど、正祖の文才と博識は際立っていた。 老論派の黒幕 正祖は元来が頭脳明晰ではあったが、それ以上に大きかったのは…
許浚(ホ・ジュン)は1546年に生まれています。世を去ったのは1615年です。その69年の人生は、まさに朝鮮半島の医学の発達に捧げた生涯でした。本当に「偉人」と呼ぶにふさわしい存在でした。 王からの信任が厚かった 許浚を語る上では、庶子(妾の子供)であったという事実を見逃せません。朝鮮…
ハン・ヒョジュが扮したドラマ『トンイ』の主人公。トンイというのはドラマ用にイ・ビョンフン監督が作った名前で、歴史上では淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏と言われている。彼女はどんな人生を歩んだのか。 出会ったときの逸話 ◆淑嬪・崔氏は1670年に生まれた。両親のことは不明である。 ◆どうい…
仁顕(イニョン)王后は、「朝鮮王朝3大悪女」の1人である張禧嬪(チャン・ヒビン)や19代王・粛宗(スクチョン)によって、いろいろと翻弄された人物だ。彼女も息子を産んでいれば、このようなことにはならなかったのだが……。 王妃となった仁顕王后 仁顕王后は、粛宗の最初の王妃である仁敬(インギ…
『オクニョ 運命の女(ひと)』では、主役のチン・セヨンが演じているオクニョが茶母(タモ)という仕事についていた。この茶母とは、どんなことをする人なのか。歴史的な事実に基づいて説明していこう。 女性刑事の代名詞 韓国でも茶母という存在が有名になったのは、人気ドラマ『チェオクの剣』でハ・ジ…
NHK・BSプレミアムで日曜日に放送されている『ヘチ 王座への道』。このドラマで主役のチョン・イルが演じているのが後の21代王の英祖(ヨンジョ)だ。この国王は、1762年に起きた大事件で有名だ。果たして、そのときに何が起こったのか。 怒りの国王 1762年5月22日、思悼世子(サドセジャ)の下で働く…