優れた医女
「朝鮮王朝実録」の1524年12月15日の記述では「医女である大長今の医術は、他の者より少し優れている」となっている。
ついに、名前の前に「大」がつけられている。尊称まで受けているのだ。
さらに、1544年10月26日の「朝鮮王朝実録」の記述によると、中宗が「余の病状は医女(長今)が知っている」と語ったとされる。王にここまで信頼されるのだから、長今の腕は抜きんでていたようだ。
韓国時代劇の巨匠と言われるイ・ビョンフン監督は、「朝鮮王朝実録」を調べていて、この中宗の言葉に惹かれて長今を主人公にしたドラマの着想を得た。
ただし、最初は料理を作る女官に設定し、流罪先の済州島(チェジュド)で医術を学ぶというフィクションをドラマの前半に持ってきた。まさに「創作の妙」としか言いようがない。
「朝鮮王朝実録」の記述だけでは、長今がどんな女性でどんな生き方をしていたのかは皆目わからない。あくまでも、彼女が医女として褒美をもらったり王族の診察をしたりする姿だけが記述に残っているのだ。
まさか彼女も、500年後の韓国や日本で自分が有名人になるとは、想像もできなかったことだろう。
文=康 熙奉(カン ヒボン)