国連の決議
朝鮮半島が南北に分裂していく中で、アメリカとソ連はソウルで二度にわたって共同委員会を開いた。その場で、アメリカとソ連の意見がまったく異なっていた。アメリカは、すべての政治団体の参加を許して統一臨時政府を樹立することをめざした。一方のソ連は、信託統治に賛成する政治団体だけで臨時政府を作ろうとした。そんな両国の対立は解消されずに共同委員会は決裂してしまう。
そこで、アメリカは朝鮮半島の独立問題を国連総会に提議した。
1947年11月14日、国連は「監視のもとで朝鮮半島で選挙を行ない、独立した政府の樹立をめざす」と提案した。ソ連は北朝鮮での影響力を失うことを恐れて反対したが、提案は絶対多数で可決された。
1948年1月9日、北朝鮮人民委員会は国連の臨時委員会が朝鮮半島北部に入ってくることを拒否した。それは、ソ連の意向に沿った措置だった。
これによって、北朝鮮で選挙を行なうことが難しくなってしまった。
国連は仕方なく、選挙ができる地域だけで先に行なって独立した政府を樹立しようという決議をした。
結果的に、その決議が朝鮮半島の分断を誘導してしまった点は否めない。
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