「コラム」連載 康熙奉(カン・ヒボン)のオンジェナ韓流Vol.79「一番わがままだった大妃は?」

身代わりとなった母

それは1683年のことだった。
粛宗が原因不明の病で重い症状に陥った。
助けたい一心で巫女(みこ/朝鮮半島においては霊を通して死者と接触するとされた女性)にすがった明聖王后は、「母の体内にわざわいが入っていて、それが息子を苦しめている」と言われてしまった。
わざわいを解き放す方法は水浴びだけ。そう指示された明聖王后は、真冬にもかかわらず何日も冷たい水を浴びた。

これがからだを衰弱させて、彼女は床に伏せるようになった。
その反対に、粛宗は病気が治り健康を取り戻した。明聖王后は自分のからだを身代わりにしたのである。
明聖王后は41歳で亡くなった。最期まで粛宗が張禧嬪に籠絡(ろうらく)されないことを願い続けていた。
しかし、結局は粛宗も張禧嬪によって政治的なトラブルを何度も起こしている。母の願いは叶わなかったのである。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

2019.07.13