1965年6月22日、日韓基本条約が成立して日本と韓国は国交を結んだが、その際に日韓基本条約と合わせて結ばれたのが日韓請求権協定である。この協定の内容を見てみよう。
国交正常化交渉
1961年5月、韓国で陸軍がクーデターを起こし、少将だった朴正熙(パク・チョンヒ)が政権を取った。
彼がすぐに力を入れたのが日本との国交正常化交渉である。日本から賠償金を得て経済成長の糧にしようとしたのだ。
そもそも、日韓国交樹立のための予備会談が始まったのは、1951年10月20日のことだった。
仲介したのはアメリカだ。当時はまだ朝鮮戦争の最中であり、戦いを有利に進めるためにアメリカは、日本と韓国が政治・経済・軍事で協力関係を結ぶことを強く求めた。
この予備会談は11月20日まで開かれたが、まだ日本と韓国の間には信頼関係が醸成されておらず、議題を統一することすら難航した。
以後も交渉が断続的に行なわれたが、日本の全権大使が「植民地時代に日本はいいこともした」というような発言をして紛糾。日韓の間で溝が深まるばかりだった。
しかし、新しく政権を掌握した朴正熙は早期の成立を望んだ。そうした姿勢が交渉を進展させたが、1910年の日韓併合に関する立場の違いが足かせになった。
日本側は「当時としては合法的に行なわれた」という見解を持っていた。反発したのが韓国側で「強制的に結ばさせられて非合法だった」という主張を繰り返した。
こうなると、妥協点をさぐらなければならない。最終的には、日韓併合とそれ以前に結んだ条約や協定は「もはや無効であることが確認される」という表現で決着した。
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