曲が終わると、会場のあちこちから「セヨン!」と叫ぶ声が響き渡り、それを噛みしめるように、全身で受け止めたセヨン。ようやく「ありがとうございます」と吐き出すと、「来たくない時間に来ちゃった。自分が思ったより早く来ちゃった。嫌だ~」と名残惜しさを見せつつ、最後のあいさつへ。
「きょう、本当にありがとうございます!」と言うと、涙が出そうになるのを堪えて、「釜山の男は泣かないんだ」と大きく息を吸い、いま感じている感情を伝えたいからと、最後のMCは準備してこなかったと語り始めた。
「韓国人だから日本語が下手な部分もあるし、(頭の中が)整理できていない部分もありますけど、優しいMYgirlだからね。へんな日本語でも通じるのがすごい」と信頼しているファンに対し、「この世界で歌手っていっぱいいるじゃないですか。何でもないセヨンをここまで応援してくれて、本当に本当に感謝します。ありがとうございます」と頭を下げた。
続けて「自分は14歳のときから6年間練習して、歌手を目指して、MYNAMEになってデビューして、皆さんと出会ってもう2500日。これは長いですね~」とデビュー当時の活動を振り返り、お金では買えない大切な思い出だと伝え、「僕、20代を80%以上日本で活動したんですけど、本当にたくさんの愛をもらって、自分の20代は本当に幸せでした。MYNAMEが自分の人生の1ページだったし、MYgirlが自分の人生のもう一つの1ページだと思います。いま終わるわけじゃなく、まだ2ページしかいっていないから、悲しいけど、2年ぐらい離れるんですが、僕ちゃんと行ってきます。元気に行ってきます! だから、皆さんは心配しないで。皆さんも元気で。だって、戻ってきたとき、体が痛いとかだったら…」と冗談も交えて会場をクスッとさせ、泣きながら笑っているファンをいじる一幕も。
改めて、会場に来ている多くの関係者に「セヨンをここまで作ってくれたスタッフの皆さん、本当にありがとうございます」と感謝した後は、家族への想いも明かし、「俺が生きている理由って自分の家族、MYgirl、MYNAMEです」とセヨン。客席にいるママにも韓国語でいまの想いを伝えたいと、「少しだけ韓国語使っていい?」と客席に許可を求めてから、韓国語で「13年間、練習生活を含めて、歌手としてデビューして活動してきて、これが終わりではないけれど、軍隊に行く前、歌手としてアーティストとして、自分の人生の一部を晴れやかに締めくくることができて、本当に幸せです。ステージに立てるように応援してくれて、産んでくれて、両親、お母さんに心より感謝しています」と言うと、クンジョル(韓国伝統のお辞儀)を見せた。
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