短かった少論派の天下
一時は英祖自身が「謀反を起こそうとしている」という嫌疑をかけられ、厳罰の対象になるかどうかの瀬戸際になった。
最終的に英祖が救われたのは景宗の兄弟愛のおかげだった。景宗と英祖は母親同士が対立していたが、景宗は弟思いだった。
もっとも、景宗には子供がいなかったので王朝存続を弟に託さなければならないという事情もあったのだが……。
景宗のはからいで命拾いした英祖は、以後は謹慎生活を送り、表立った動きを決してしなかった。
一方、老論派を追い出して完全に政権を握った少論派だったが、その栄華は長く続かなかった。
というより、短い期間であっけなく終わってしまった。
直接の転機は、景宗が在位わずか4年2カ月で亡くなったことだった。次の王位は弟で老論派の支持を受ける英祖が就くことが決まっていただけに、景宗の死は少論派政権の終焉に直結した。
少論派にとっては、景宗に子供がいなかったことが最後まで痛手となった。
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