「コラム」連載 康熙奉(カン・ヒボン)のオンジェナ韓流Vol.37「秋の景福宮」

朝鮮王朝の国教

儒学者は僧侶に反論した。
「王が南側を向いて政務を行なったほうが王朝が長く続きます。それだけに、正門は南側になければなりません」
ここまで意見が違うだけに、李成桂の悩みは深かった。けれど、周囲の者たちは李成桂が正門を東側に置くだろうと予想した。李成桂が熱心な仏教徒であるだけに、最終的に僧侶の意見を聞くだろうと思えたからだ。
しかし、李成桂が選んだのは「南側」だった。彼は僧侶より儒学者の意見に耳を傾けた。これは非常に重要な意味を含んでいた。なぜなら、朝鮮王朝が仏教より儒教を重んじる姿勢を暗示していたからだ。

以後、朝鮮王朝の国教は儒教になり、逆に仏教は迫害された。今もソウルには仏教寺院がほとんどないが、それは朝鮮王朝時代に仏教が冷たくされた名残だ。
一方で、立派な王宮はいくつも残っている。中でも正宮として景福宮は不動の位置を占めている。
この秋も多くの観光客で賑わうことだろう。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

(キャプション)
景福宮の正門となっている光化門はもちろん南側を向いている

2018.09.15