「コラム」連載 康熙奉(カン・ヒボン)のオンジェナ韓流Vol.37「秋の景福宮」

景福宮の正門となっている光化門はもちろん南側を向いている

ソウル観光をするなら、9月中旬からの1カ月が一番いい。この時期の空の美しさは惚れ惚れするほどだ。そんな季節に王宮を訪ねると、伝統的な施設が一層映えている。やっぱり「景福宮は秋にかぎる」というわけだ。

正門の向き

景福宮の歴史を振り返ってみよう。
もともと、高麗王朝の首都は、朝鮮半島の中央部の開京(ケギョン)だった。現在は開城(ケソン)と呼ばれている都市だ。
しかし、高麗王朝を倒して1392年に朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)は、新しい王朝には新しい首都が必要だと考え、風水師を動員して民族の精気が宿る土地を探した。そのときに選ばれたのが漢陽(ハニャン)である(ここが現在のソウルだ)。

漢陽は開京から南西50キロのところにあり、風水師が太鼓判を押したほど「気」が満ちた場所だった。その中でも特に精気が集まる中心地に李成桂は王宮を建てた。それが、景福宮(キョンボックン)である。
朝鮮王朝創設の3年後の1395年から景福宮の建設工事が始まったが、当初は正門の光化門(クァンファムン)をどの位置に置くかで大激論があった。というのは、李成桂の側近の間でも、儒学者と僧侶の意見が真っ二つに割れたのだ。
「王宮予定地の南側に災いを呼ぶ山がございます。それを避けるためにも、正門は東側に置くべきです」
僧侶はそう主張した。

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2018.09.15