「コラム」第13回最悪の暴君・燕山君(後編)/康熙奉(カン・ヒボン)の「簡潔に読む!韓国の歴史」

母の復讐

王たる成宗の顔に傷を付けた罪は重く、尹氏は宮中から追放された。それでも、尹氏に対する非難はやまず、結果的に1482年に死罪となってしまった(『宮廷女官 チャングムの誓い』の第1回で死罪になった元王妃がまさに尹氏である)。

実は、燕山君はこの尹氏の息子なのである。こうして母の死の真相をずっと後になって知った彼は、怒りに身を震わせた。そして、尹氏の母を宮中に招いて真相を改めて確認し、母の復讐を誓った。

燕山君は常軌を逸していた。

1504年、尹氏の死罪に関わった人たちを例外なく捕まえて極刑にし、すでに死んでいる人たちの場合は墓を掘り返してその首をはねた。

これが、世に言う「甲子士禍」だった。この事件によって殺害された官僚や学者は100人を超えると言われている。

逆らう者たちを残虐に処刑する燕山君。臣下の者や庶民は恐怖で沈黙するしかなかった。また、彼の暴政は悪化の一途を辿る。全国に特使を送って美女を探し、彼女たちを宮中に集めて宴席をともにさせた。

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2016.11.06