俳優のシム・ウンギョンが、日本進出をすることになった理由を公開した。
俳優のシム・ウンギョンが、日本進出をすることになった理由を公開した。
2017年に日本の所属事務所「ユマニテ」と専属契約を締結し、本格的に日本進出したシム・ウンギョンは、2019年に映画「新聞記者」で「第43回日本アカデミー賞」で女優主演賞を受賞したりもした。
最近、ソウル・チョンノ(鍾路)区サムチョン(三清)洞のあるカフェで行われたヘラルドPOPとのインタビューで、シム・ウンギョンは受賞当時を振り返った。
同日、シム・ウンギョンは、「幼いころから海外進出をたくさん考えていた。目標が大きかった。よい作品があれば、韓国だけでなく国籍がどこであれ作品活動をしていきたい目標があった。その中のひとつが、日本だった」とし、「ちょうど日本の事務所と契約が締結され、タイミングがあって日本進出となったのだ」と伝えた。
続けて、「日本でフィルモグラフィーであれ、成果は予想をまったくできなかった。会社の方々さえも、日本映画の面白さを感じながら、多様にフィルモグラフィーを積んでいけばよいとおっしゃって、私も同意した。ゆっくりやっていくという考えで演技をしていたのだが、思ったより早くよい結果を出すことになった」と付け加えた。
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それだけでなく、シム・ウンギョンは、「授賞式の映像を観れば私がとても驚く。最初で最後のはずなのに、日本の俳優たちに会いに行くという気持ちで行った。それ自体を楽しく経験してみたかった」とし、「楽しんでいる中で、『PERFECT DAYS』の大俳優、役所広司さんが私の名前を呼んであっけにとられた。とても驚いて、歩いていく時に痙攣が起きたりもした。予想外の成果にとても感謝し、もっと謙遜して一生懸命努力しなければならないと決心するようになったきっかけとなった」と振り返った。
それと共に、「日本語の実力を早く向上させるのが大きな宿題だった。会社の方々がほとんど日本人なので、下手でも日本語でコミュニケーションを図るしかなく、そのとき言語が上達したようだ」とし、「演技の準備をしながら、日本語も準備しなければならないので手ごわいときもあった。そのとき練習していた瞬間が変化のきっかけになってくれたと思う。家に『黄真伊(ファン・ジニ)』の台本がまだあるが、離れていた。これほどに練習をたくさんしたんだなと思いながら、ある瞬間それ自体を忘れていたのではないかと思ったが、『新聞記者』をやりながら、忘れていたことを再び思い出すことになった。演技に対する姿勢の変化がそのときからあったようだ」と打ち明けた。
一方、シム・ウンギョンのスクリーン復帰作「The Killers」は、ヘミングウェイの短編小説「The Killers」を韓国を代表する監督4人が、各自異なる視線で解釈し、誕生させた4本の殺人劇を盛り込んだシネマアンソロジーで、23日に韓国で公開予定。
WOW!Korea提供