グループ「SUPER JUNIOR」のメンバー、キュヒョンが”死の峠を克服したスター”1位になった。
19日に放送されたKBS2TV「芸能ライブ」の「チャートを走る女」では、キュヒョンが死の危機を克服したスター1位に上がった。
2007年4月、ラジオ放送を終えて帰宅途中の「SUPER JUNIOR」のメンバーたちは、オリンピック大路 バンポ(盤浦)大橋でワゴン車が転覆する事故に遭った。 キュヒョンは車の外に体が飛び出して骨盤と肋骨が折れて肺にも傷が生じ、正常な呼吸が難しい重傷を負った。 当時、キュヒョンは19歳だった。
病院に搬送された直後、キュヒョンは意識不明の状態だった。 キュヒョンの担当主治医は「両側の肺をひどく痛めた状態だ。 今のところ人工呼吸器の挿管をして酸素を高濃度に与えているにもかかわらず、手術などができない。 最も重要なのが肺がどれだけうまく動くかどうかによって患者の予後も決定されるだろう」と説明した。
当時、キュヒョンは生命が危急な状況で声を失う可能性もあった。 しかし、キュヒョンの夢を守ってあげたかった父親が大きな決断を下したという。
これに対してキュヒョンはある放送で「(医療スタッフが)『この子は死ぬかもしれない瀕死(ひんし)の状態だ。 今、喉を開いて手術をしなければ、その大手術をしても生きる確率が20%もない」とし、「ところが父親が『この子は歌を歌わなければならない子で、歌手だ。 歌に夢を持っている子なのに喉を開けば、この子はこれからどう生きるのか』と反対した」と説明した。
しかし、医療スタッフがこれに反対し、父親と激しい言い争いをしたという。 幸い、ある医師がキュヒョンが歌えるように他の手術方法を見つけ出した。 結局、キュヒョンは喉を傷つけずに脇腹を通じて手術を受けることになった。
キュヒョンは「その話を聞いて、後ですごく泣いた。 私の父は私が歌うことを、歌手になることをとても反対した。 そのような父親が私が意識がない時、私の夢を守ってくれた。 それでとても泣いた」と、父親に対する感謝の気持ちを伝えた。
続いて「そんなに好きだった歌も歌えるし、メンバーたちと一緒に『SUPER JUNIOR』の活動もできるし、ファンの方々にも会えるし。 このすべてに感謝している」と付け加えた。
以後、無事に手術を終えたキュヒョンは奇跡のように4日ぶりに意識を取り戻した。父親のおかげで声を守ったキュヒョンは、生と死を行き来した峠を乗り越え、さらに深まった感性で活発な活動を繰り広げた。
一方、キュヒョンは今年1月、4thミニアルバム「Love Story(4 Season Project 季 )」を発売した。