「コラム」第1回 百済の歴史(前編)/康熙奉(カン・ヒボン)の「簡潔に読む!韓国の歴史1」

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第1回/百済の歴史(前編)

古代の朝鮮半島において、激しく覇権を争った高句麗(コグリョ)、新羅(シルラ)、百済(ペクチェ)。この3つの国は歴史上で名高い三国時代を形成したが、韓国の時代劇でよく取り上げられているのは高句麗と新羅の2つである。

 

忘れられた国

韓国時代劇で高句麗と新羅がよく取り上げられる理由は何か。

高句麗は朝鮮半島の歴史の中で最大の領地を獲得した伝説の強国だったし、新羅は最初の統一国家としてその後の朝鮮半島の政治と暮らしに決定的な影響を及ぼした大国だからだ。それだけ、時代劇の題材になりやすい国なのである。

一方の百済。高句麗と新羅と比べると、いかにも地味だったと言わざるをえない。

しかも、660年に新羅・唐の連合軍に滅ぼされたとき、都の扶余(プヨ)は完全に焼き尽くされ、何の痕跡も残せなかった。

以後も、百済の伝統は完全に朝鮮半島の歴史から姿を消してしまった。

いわば、「忘れられた国」だったのである。

しかし、最近の韓国で古代の発掘調査が進むにつれ、百済という国家がいかに文化的に優れていたかがわかってきた。今後、百済が歴史的に再評価されることは間違いない。

また、百済は日本とも非常に関係が深い国だった。百済は漢字や仏教を日本に伝えたばかりではなく、百済の多くの知識人や技術者が日本に渡って活躍した。それだけに、百済は新羅や高句麗よりずっと日本になじみ深い国だったのである。

(2ページにつづく)

 

2016.09.02