「コラム」第1回 百済の歴史(前編)/康熙奉(カン・ヒボン)の「簡潔に読む!韓国の歴史1」

高句麗を出て行った兄弟

韓国の歴史書『三国史記』によると、百済は高句麗を建国した朱蒙(チュモン)の息子が興した国ということになっている。そのあたりの逸話は次の通りだ。

高句麗の王となった朱蒙には2人の息子がいた。沸流(プル)と温祚(オンジョ)である。当然ながら、朱蒙の後継者は長男の沸流になるはずであったが、さらに朱蒙には出身地に残してきた年長の息子がいることがわかった。

結局、その息子が朱蒙を訪ねてきて、実子であることがわかった段階で後継者となり、朱蒙の死後は2代王の瑠璃王(ルリワン)になった。

こうなると沸流と温祚の立場は危うくなる。2人は配下の者を連れて南下し、新たに自分たちの国を築こうとした。

朝鮮半島の中央に位置する漢江(ハンガン)のあたりにやってきた2人。沸流は海岸のほうが暮らしやすいと考えて、今の仁川(インチョン)のあたりを領土にした。温祚は肥沃な土地が多いということで、今のソウルのあたりで国作りを始めた。

(3ページにつづく)

 

2016.09.02