「コラム」第1回 百済の歴史(前編)/康熙奉(カン・ヒボン)の「簡潔に読む!韓国の歴史1」

最初の首都は現在のソウル近郊

兄弟の中で、沸流は建国に失敗して自害せざるをえなくなった。

あまりにも悲惨な最期であった。

その一方で、温祚は周辺の部族集団を傘下におさめながら勢力を拡大し、紀元前18年についに十済(シプチェ)という国を建国した。

これが百済の始まりである。

温祚は初代の王となった。都は、現在のソウル近郊にあたる慰礼城(ウィレソン)に築いた。

以上の経緯を『三国史記』は書いているが、歴史的にどの程度の信憑性があるかは現在も多くの議論を呼んでいるところである。

とはいえ、今の韓国でも、「百済は朱蒙の息子が作った国」という認識を持っている人が多いのも事実だ。

朝鮮半島の西南部は平野が多く、今でも韓国有数の穀倉地帯になっている。

こうした肥沃な大地を抱えているという地形的な利点を生かしながら、百済は徐々に勢力を拡大していった。

 

(後編に続く)

文=康 熙奉(カン ヒボン)
コラム提供:ロコレ
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2016.09.02