軍の訓練所でいくら厳しい訓練であり不条理な扱い(非人間的)を受けても、その中から芽生える連帯感や団結心と言う同志的感覚が生まれたのはこの上ない喜びでした。
特に私はこの国に来て、大学周辺や会社など特定の層、限られた人間しか付き合ってこなかったのですが、ここ軍隊は裏町で与太ってたチンピラから大会社のトップまで韓国のありとあらゆる階層の人が集まっています。頭を丸刈りにし同じ軍服を着て同じ階級(一等兵)と言う社会での優劣(身分)、貴賎に関係なく平等に扱われ、一定期間の訓練が施されました。
その中で同じ釜の飯を食い同類意識が芽生えたのは、私には訓練の辛さよりも貴重な体験でした。”在日同胞”という異質なコリアンでなく、お前も俺も育ちや境遇、そして言語の差でなく、一兵卒として泣き笑い、厳しい訓練を乗り越えたという同類意識が生まれ、それが自ずと本物の韓国人になれたという実感につながりました。
これで一人前の‟現地人”になれたと。
軍隊に来て苦労したお陰で私の中で分裂していた名目(書類上の)と実体(韓国人としての確信)が一致したのでした。常にどっちつかずの日本人でも韓国人でもない境界人が、現地人からも違和感なく同類として受け入れられたのですから軍隊様々でした。
この時代の軍隊は、飯がまずいのは経済的な貧しさからであり、訓練という美名の元で私的感情を交えた不条理の‟しごき”などが当たり前でした。今の軍隊では想像もできないことですが、一昔前はその不当さがわかっていても訴えることのない社会的雰囲気がありました。
今でしたら社会問題になり将軍の首がいくつあっても足りなかったに違いありません。この原稿を書くにあたっていろいろ聞き回ったところ、食事も数倍良くなり寝泊まりする幕舎も清潔で過ごし、よい環境で若者が訓練を受けているそうです。携帯の持ち込みも可能(休憩時間に限り使用可)であり、何かあったらすぐ訴えられるので、体罰は激減したそうです。
何と早く改善されたものかとびっくりしましたが、やはり急速な経済成長が旧時代の不条理を解消させました。我々の目から見ればこんな民主的で、心地よい幕舎で過ごす若者をうらやましく思いますが、当事者にとってはまた違う視点での不満が沢山あるようです。我々が‟今の若いものは恵まれている”とたれようものなら‟コンデ/おやじ”とさけずまれます。世代間のギャップとても言いますか…。
給食も味や量云々でなく新世代の訓練兵に如何にたくさん食べてもらうかが悩みの種で、今の若者はキムチや韓国料理よりもハンバーグ、とんかつ、ソーセージ、トースト、ピザなど洋食系を好むそうです。
現代の軍隊は一昔よりも処遇や環境が大幅に改善されましたが、その文化は今尚韓国社会に色濃く残っています。1950~1960年代の経済貧国であった韓国が急速に経済先進国になれたのも、目標に向かい勝利を勝ち取るためには手段や方法をいとわない一糸乱れぬ強引な軍隊方式が大いに役立ったに相違いありません。
この国の富国強兵の為には多少個人の主張や自由が犠牲になってもかまわないという発想がありました。パク・チョンヒ(朴正熙)大統領は‟後世、私のしたことが間違っていたら私の墓に唾を吐け”とまで言わしめ‟独裁者”と言う汚名をいとわずこの国の近代化に命をかけました。
また戦後の韓国が国際社会に誇れる‟短時間での民主主義定着”もこの権威、強圧的な軍事独裁政権の圧政に対する抵抗の過程で生まれており、この国の自由と国民の権利は暴力的な軍に対して素手で応戦し、命がけで血を流して勝ち取ったものです。
憎っくき軍事政権を倒しその偉業を成し遂げた民主化勢力(進歩主義者)の彼らすらも2~3年と言う兵役の義務と社会の底辺に脈々と流れてるこの国の軍隊文化の影響から自由ではありません。
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