済州島の大静に漂着したハメルが馬に乗って済州府に移る間に、彼は島の暮らしぶりをつぶさに見ていたことだろう。そのとき目についたのは、おそらく貧しい人々であったに違いない。 済州島の風土 ハメルが本土に移りソウルや全羅道に暮らしているとき、済州島の印象を周囲の人に語って聞かせると、その反応は島を見下す差…
ハメルたちは翌年の6月にソウルへ移送された。その後の運命は、朴延が想像した以上に苛酷だった。全羅道(チョルラド)を守護する兵士として徴用されたが、満足な待遇を得られずに病没する者が相次いだ。完全な邪魔者扱いだったわけだ。 住んでいる人は? 自尊心のうえでは耐えられない屈辱だったが、次第に忘れられた存…
8月21日の午後に漂着地の大静を出発し、翌日の正午に済州府の役所に到着。ここでハメルたちは牧使(提督)であった李元鎮(イ・ウォンジン)から取り調べを受けた。この李元鎮は官僚であると同時に優れた知識人であり、済州島の地誌として名高い『耽羅志』を著してこの島の教化に大きな貢献をしている。 異国の漂着者 …
意外にも役人はハメルたち4人に酒を一杯ずつ与え、テントにいる他の仲間にも粥をふるまった。その扱いの丁重さに一瞬はホッとしたハメルだったが、その後に大勢の人間が頑丈な縄をもってテントに向かってきたときは肝を潰した。 荷揚げ作業が始まった 「縛って殺すつもりなのか」 テントの中では悲鳴があがった。 ハメ…
見渡すかぎりすばらしい景観だけに、観光客が集まってくるのもよくわかる。私はまずヨンモリ海岸へ下りて行った。岩が波に浸食されて奇観をおりなしている。この凄まじい岩の変形ぶりは、人間の頭の中では到底思いつかない。まさに自然は芸術である。 「朝鮮幽囚記」という著作 ちょうど満潮時で波しぶきが高く舞い上がり…
今は済州島(チェジュド)の西南部にある中文(チュンムン)にいる。この中文の南側の海岸一帯は、今や済州島の観光を代表する国際リゾート地になっている。新羅ホテルやロッテホテルという高級ホテルが立ち並び、免税店、カジノ、ゴルフ場の利用客も次々とやってくる。済州島の新しい顔を代表するエリアなのである。 鐘の…
コロナのため家族一緒に暮らそうとソウルに移り住んで早3年が過ぎました。長かった日本の生活に馴染んだせいか、日々生活していると時々生活感覚が違い、戸惑うことがあります。 (西欧人だと髪の毛や目鼻立ち骨格、皮膚の色などその違いがはっきりしているので、‟私とは違う”と極めて接しますが、日韓だとほとんどと似…
1701年、19代王・粛宗(スクチョン)の側室だった張禧嬪(チャン・ヒビン)は、亡くなった仁顕(イニョン)王后に対して呪詛(じゅそ/呪い殺す儀式のこと)をした罪で死罪となった。そのときの描き方は、史実とドラマ『トンイ』では、どのように違うのだろうか。 奇怪な行動 まず、史実から見てみよう。 記録によ…
韓国南部の大都市の大邱(テグ)。この街から車で南に向かう。やがて低い山が見えてきた。どの山もお椀を伏せたように形がよく、木々も見事に紅葉して、秋の風景に彩りを添えていた。目がなごむ田園の景色を楽しみながら、友鹿里(ウロンニ)をめざす。そこは、日本武将の子孫たちが住む村である。 友鹿里の風景 沙也可の…
韓国東南部にある慶州(キョンジュ)は、7世紀に朝鮮半島を史上初めて統一した新羅(シルラ)の首都があった場所で、935年に新羅が滅ぶまでは朝鮮半島の政治と文化の中心地だった。それだけに、韓国随一の古都としてよく知られている。 郷校を彩る見事なイチョウ 仏国寺の再建は朝鮮王朝時代後期 慶州では、世界遺産…