朝鮮王朝には42人の王妃がいたが、中でも慈愛に包まれた人格者の王妃が5人いた。その5人とは、顕徳王后(ヒョンドクワンフ)、孝懿王后(ヒョウィワンフ)、端敬王后(タンギョンワンフ)、昭憲王后(ソホンワン)、仁顕王后(イニョンワンフ)である 最初の3人 顕徳王后(ヒョンドクワンフ) [1418~1441…
朝鮮王朝時代の27人の王の平均寿命は、46歳である。贅沢な食事をとって栄養がたっぷりだった割には、平均寿命がそれほど長くない。やはり激務が応えたとしか言いようがない。 王の子供の数の比較 朝鮮王朝時代には、前期より後期になると、王の子供がどんどん少なくなる傾向があった。 27人の王を比較してみよう。…
朝鮮王朝では国王が絶対的な権力者であったが、実は国王以上に目立っていた王妃が何人もいた。それは、元敬(ウォンギョン)王后、貞熹(チョンヒ)王后、仁粋(インス)大妃、明聖(ミョンソン)王后、純元(スヌォン)王后の5人だった。 朝鮮王朝前期の3人 ◆元敬(ウォンギョン)王后 〔1365~1420年〕 3…
1623年、綾陽君(ヌンヤングン)がクーデターを成功させて、光海君(クァンヘグン)を王宮から追放した。代わって、綾陽君は16代王・仁祖(インジョ)として即位した。これによって、離宮に幽閉されていた仁穆(インモク)王后と貞明(チョンミョン)公主(コンジュ)は解放された。 3歳年下の婿 す…
1623年、光海君(クァンヘグン)はクーデターで廃位になりました。クーデターを成功させて新しい王になった仁祖(インジョ)が廃位の大義名分にしたのは、「兄弟たちを殺した」「多くの土木工事を行なって民衆の負担を大きくした」「中国大陸の明に対して背信行為をして、後金と密通した」「継母である仁穆王后を幽閉し…
7代王の世祖(セジョ)は、甥の端宗(タンジョン)から王位を強奪して1455年に即位しました。彼はその後も端宗を辺境の地に流罪にしてしまい、さらに、死罪を申し渡します。それは、1457年のことです。端宗は16歳になっていました。 評判が悪い王 死罪となった端宗。毒薬をもってきた使者があま…
光海君は14代王・宣祖(ソンジョ)の二男として1575年に生まれました。1592年に朝鮮王朝が豊臣軍に攻められたとき、光海君は武勲をあげています。一方、兄の臨海君(イメグン)は加藤清正軍の捕虜になるという屈辱を受けました。同じ兄弟でも弟は褒められ、兄は非難されたのです。 成果をあげた光…
1688年10月27日、一介の女官から粛宗(スクチョン)の側室になっていた張禧嬪(チャン・ヒビン)が王子を出産した。それが、後の20代王・景宗(キョンジョン)である。粛宗にとっては、27歳になって初めての息子だった。彼の喜びも尋常ではなかった。 反対する重臣たち 粛宗は生まれたばかりの…
写真=韓国KBS『雲が描いた月明り』公式サイトより 朝鮮王朝23代王・純祖(スンジョ)の時代を舞台に、宮中の陰謀や恋模様を描いた時代劇『雲が描いた月明り』。韓国インターネット上で累計観覧数5000万PVを超えたユン・イスク作家の人気WEB小説初の実写化作品だ。 人気WEB…
朝鮮王朝最高の名君と称される4代王の世宗(セジョン)。その長男が文宗(ムンジョン)である。彼は1人の美しい女性をこよなく愛した。それが、後の顕徳(ヒョンドク)王后であった。 写真=植村誠 恨み骨髄まで 文宗と顕徳王后の間に最初に生まれた子供が敬恵(キョンヘ)公主(コンジュ)だ。 彼女は、朝鮮王朝で一…