【時代劇が面白い】晩年の世祖は端宗を殺した祟りに苦しめられた!

7代王の世祖(セジョ)は、甥の端宗(タンジョン)から王位を強奪して1455年に即位しました。彼はその後も端宗を辺境の地に流罪にしてしまい、さらに、死罪を申し渡します。それは、1457年のことです。端宗は16歳になっていました。

 

評判が悪い王
死罪となった端宗。毒薬をもってきた使者があまりに気の毒に思い、端宗になかなか渡せなかったのです。
端宗は見るに見かねて、自分で首にひもを巻き、お付きの者に「引っ張れ」と命じて亡くなります。
罪人ということで、死後もその遺体を葬ってはいけないことになっていましたが、心ある有志が「それはあんまりだ」と憤慨してきちんと葬りました。「悲劇の王」という意味で、この端宗ほど悲しみを背負った王は他にいないでしょう。

一方、世祖は権力を万全に固めていきます。朝鮮王朝の法典の整備を進めるなど政治的には業績が多い王ではありますが、なにしろ甥から王位を奪ってその甥を殺しています。非道の王ということで、現代の韓国でも評判が悪いのです。
この世祖の晩年のことです。
夢の中に端宗の母親がよく出てきました。端宗の母親は「よくも私の息子を殺したな」と世祖を罵倒し、彼の顔にツバを吐いたとか。すると、世祖は顔に重い皮膚病が出て、それに苦しめられます。

さらに2人の息子が早世してしまいます。
世子だった長男は19歳のときに急死し、1468年に世祖が世を去ったあとに王になった次男の睿宗(イェジョン)は、やはり19歳で亡くなります。在位はわずか1年2カ月でした。
人々は「世祖が端宗を殺した祟りだ」と噂しましたが、結果的に世祖が様々な災難におそわれたことは事実です。
まさに、因果応報というわけでしょうか。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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コラム提供:チャレソ

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2020.11.17