写真=韓国MBC『華政』公式サイトより 仁祖が即位してから13年後、1636年12月に朝鮮王朝に最大の危機が訪れた。強国の清が、10万人以上の兵力で攻め入ってきたのだ。そのとき、貞明公主はどのように行動したのか。 貞明公主の決意 朝鮮王朝は攻めてきた清の大軍を迎え撃つが、あまりにも兵力が違い過ぎたた…
中宗(チュンジョン)は燕山君(ヨンサングン)の異母弟で、実母に溺愛されて幸せに育った。一方の燕山君は実母が廃妃のうえに死罪になっており、孤独の中で育った。「同じ成宗(ソンジョン)の息子なのに、なぜこれほど境遇が違うのか」という妬みから、燕山君は徹底的に中宗をいじめている。中宗にすれば、相手は王だから…
王宮の中心に住んでいたのは、もちろん王族です。この人たちが王宮の主役であり、国王・王妃・王子・王女・大妃(国王の母)たちが該当します。他に、国王の側室たちも王宮の後ろのほうに住んでいました。それによって、側室は「後宮」と呼ばれました。 150年で半減 政治と行政を担当する高官たちは王宮…
写真=韓国MBC『華政』公式サイトより 1636年12月、強大な清は大軍で朝鮮王朝を攻めた。朝鮮王朝はあえなく降伏。16代王の仁祖(インジョ)は、清の皇帝の前で頭を地面にこすりつけて謝罪した。ここまで王が屈辱を受けたのは、建国以来一度もなかった。 西洋の文化にかぶれた昭顕…
518年続いた朝鮮王朝では27人の国王が統治したが、名君もいれば暴君もいて、さらに暗愚の国王もいた。そうした国王の中で、「即位しなければ良かったのに」と思える人を5人選んでみた。 最初の3人 ◆端宗(タンジョン) 〔1441~1457年〕 6代王。在位は1452~1455年。5代王・文…
歴代の国王の位牌を祀った宗廟(チョンミョ) 1608年、15代王の光海君(クァンヘグン)が即位した。当初は戦後の復興に尽力した王として評価されたが、しだいに官僚たちの派閥闘争に巻き込まれ、自ら政治を混乱させてしまった。 屈辱にまみれた国王 1623年にクーデターが起きて光…
新しい文字を創製した偉大な国王・世宗(セジョン)は1450年に亡くなったが、学問好きな彼が残した遺産は大きかった。優秀な学者を登用したおかげで、朝鮮王朝は政治や社会の様々な分野で法の整備が進んだ。 ソウル中心部にある李舜臣の銅像 非情な国王交代 王朝にとって誤算だったのは王位の後継者問題でもめたこと…
韓国時代劇は女性を主人公にした作品がたくさんある。それは、朝鮮王朝時代の歴史に残る有名な女性を題材にすることが多いからだ。その中でも、一番目立っている5人の女性を選んでみた。 最強の3人 張禧嬪(チャン・ヒビン) [1659年~1701年] 19代王・粛宗(スクチョン)の側室および正室。一介の宮女か…
朝鮮王朝には27人の国王がいたが、その中で在位中に強制的に退位させられた人が5人いる。それは、定宗(チョンジョン)、端宗(タンジョン)、燕山君(ヨンサングン)、光海君(クァンヘグン)、高宗(コジョン)である。 最初の3人 ◆定宗(チョンジョン) [1357~1419年] 2代王。在位は1398~14…
ソウル中心部にある世宗の銅像 朝鮮(チョソン)王朝は1392年に建国されて1910年まで続いた。なんと518年に及ぶ長い王朝で、日本でいえば室町時代から明治時代まで存続した。なぜこれほど長期にわたって政権を維持できたのか。 典型的な中央集権国家 長い王朝を維持できた要因はいくつかあるが、大きいのは早…