『逆賊-民の英雄ホン・ギルドン』の主人公になっているホン・ギルドン。もともとは、許筠が書いた小説『ホン・ギルドン(洪吉童)伝』であまりに有名なキャラクターだ。この小説の中で、ホン・ギルドンはどんな人物として描かれているのか。 ホン・ギルドンの境遇 17世紀にハングルで書かれた名作が『ホン・ギルドン(…
それは1762年のことだった。思悼世子(サドセジャ)が米びつに閉じ込められて餓死する事件が起こった。このとき、思悼世子の息子はどのように動いたのか。時代劇『イ・サン』と史実の世界を比較してみよう。 ドラマはどう描いたか 時代劇『イ・サン』の第1話の冒頭には、思悼世子が米びつに閉じ込めら…
1680年の秋、19代王・粛宗(スクチョン)は女官だった張禧嬪(チャン・ヒビン)の美貌に目を見張った。この年には粛宗の最初の正妻だった仁敬(インギョン)王后が亡くなっているが、粛宗の心はすでに張禧嬪しか見えていなかった。そのとき、粛宗が19歳で、張禧嬪が21歳だった。 宮中を追われた張…
トンイは歴史上では淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏と言われている。彼女は1670年に生まれ、後に粛宗(スクチョン)の側室になった。史実の淑嬪・崔氏はドラマとは違う顔を持っていたようだ。 トンイの人生は? 粛宗の統治時代、官僚の派閥では西人派と南人派が激しく争っていた。 そして、西人派が意…
朝鮮王朝の3代王である太宗(テジョン)は朝鮮王朝の基盤を整備したことで知られる王だが、彼は王になる過程で骨肉の争いを起こしている。いったい、なぜそんな骨肉の争いが起きたのだろうか。 兄弟同士の骨肉の争い 太宗は初代王となった太祖(テジョ/李成桂〔イ・ソンゲ〕のこと)の五男で、王になる前は芳遠(バンウ…
光海君を追放して仁祖(インジョ)が16代王として即位したことで、長男であった昭顕(ソヒョン)世子(セジャ)の立場も大きく変わった。本来なら、王族の一員とはいえ政治中枢から遠い場所で一生を送らなければならなかったのに、一転して世子となり次代の王位が約束されたのである。 過酷な降伏条件 昭顕世子が16歳…
朝鮮王朝の五大偉人といえば、ハングルを作った世宗(セジョン)、儒学の大家の李退渓(イ・テゲ)、救国の英雄の李舜臣(イ・スンシン)、『東医宝鑑』を書いた許浚(ホ・ジュン)、朝鮮王朝後期の名君の正祖(チョンジョ)である。 朝鮮王朝前期の3人 ◆世宗(セジョン) 〔1397~1450年〕 4代王で在位は1…
世祖は甥の端宗(タンジョン)から王位を奪って1455年に7代王となった。彼の祖父である3代王・太宗(テジョン)も異母兄弟と骨肉の争いを起こして王になっている。しかし、建国当時と違って、すでに儒教の倫理観が社会に浸透していた時期だっただけに、世祖の名分のない王権獲得は大きな反発を生んだ。 文治より覇道…
朝鮮王朝では国王や世子が毒殺された、という疑惑が多い。そうした疑惑の張本人になっている5人は、世祖(セジョ)、文定王后(ムンジョンワンフ)、仁祖(インジョ)、英祖(ヨンジョ)、貞純王后(チョンスンワンフ)である。 最初の2人 世祖(セジョ) [1417~1468年] 首陽大君(スヤンデ…
『女人天下』の第11話は、11代王・中宗(チュンジョン)が三番目の正妻を迎える場面から始まる。その正妻が文定(ムンジョン)王后だった。前の王妃が亡くなったことで中宗は新たな王妃を選んだのである。 一変した態度 『女人天下』の中で、文定王后は婚礼前に世話役の女官に対してこう言う。 「殿下…