世祖(セジョ)はなぜ朝鮮王朝でも評判が悪いのか

世祖は甥の端宗(タンジョン)から王位を奪って1455年に7代王となった。彼の祖父である3代王・太宗(テジョン)も異母兄弟と骨肉の争いを起こして王になっている。しかし、建国当時と違って、すでに儒教の倫理観が社会に浸透していた時期だっただけに、世祖の名分のない王権獲得は大きな反発を生んだ。

文治より覇道に走る
孝と忠を基本とする儒学者たちは世祖を王として認めなかった。
世祖を追い出そうとする動きが続き、エリート知識人たちが出仕を拒むなど、社会の混乱が顕著になった。
世祖は極端な方法で政敵を除去して自分の政権をつくったが、その過程で大臣たちの権力を縮小させ、王の立場を強化させた。文治より覇道に走ってしまったのだ。そうした独断的な政治による弊害が多かった。


また、世祖は甥の端宗や弟の安平(アンピョン)大君を死罪にするという非道をおかす一方で、自分の即位に貢献した韓明澮(ハン・ミョンフェ)や申叔舟(シン・スクチュ)などを異様に厚遇した。
その結果、側近の跋扈(ばっこ)を許し、彼らの権勢が様々な歪みを生んだ。
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世祖(セジョ)/朝鮮王朝人物紀行7

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2020.03.12