明聖(ミョンソン)王后は17歳のときに夫の顕宗(ヒョンジョン)の即位によって王妃となり、世継ぎとなる長男を19歳で出産した。その長男が19代王・粛宗(スクチョン)になったのは1674年で、明聖王后は32歳だった。 高官たちから抗議を受けた 意外だが、朝鮮王朝の王妃の中で明聖王后のように…
1800年6月、正祖の体調が悪化した。それでも彼は、薬を調合する現場を自ら視察している。彼自身が薬について詳しかったこともあるが、おそらく毒殺されることを極度に警戒していたものと思われる。 医官を信用しない正祖 6月21日に正祖が苦痛を明らかにした。 「痛みがあって苦しい。熱があるのに…
ドラマ『トンイ』のモデルとして有名な淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏は、19代王・粛宗(スクチョン)の側室で、21代王・英祖(ヨンジョ)を産んだ生母である。しかし、淑嬪・崔氏について書かれた資料は少なく、確実なのは、出生が貧しいということだけだ。彼女は、いったいどのような女性だったのでしょうか。 &n…
写真=韓国tvN『100日の郎君様』公式サイトより NHKの総合テレビで、毎週日曜日午後11時から放送されている『100日の郎君様』が本当に面白い。ド・ギョンスとナム・ジヒョンの主役カップルも魅力的だし、波乱がたくさん起こるストーリーも興味深い。 今後の展開が楽しみ 『1…
EXOのD.O.(ディオ)として知られるド・ギョンスが主役になっている『100日の郎君様』がNHKの総合テレビで毎週日曜日の午後11時から放送されている。後半に入っているが、ここで前半のストーリーをまとめておこう。 写真=韓国tvN『100日の郎君様』公式サイトより ウォンドゥクとホンシムの物語 『…
張緑水(チャン・ノクス)は、両班(ヤンバン)の父と妾の間に生まれた。妾の娘だった彼女は、生まれながらにして奴婢(ぬひ/最下層の身分)だった。彼女は成り上がるために奴生(キセン)になった。 歌と踊りに才能があった 張緑水の容姿は、特に優れていたわけではなかった。 しかし、歌や踊りにおいては天才的な才能…
朝鮮半島では昔から胎教を重視していて、朝鮮王朝の王妃ともなればなおさらだった。大切なのは、身と心を清く保つこと。王妃はからだを清潔に保ち、見苦しいものを見ないように心掛けた。 元子とは何か 妊娠した王妃は、食事に細心の注意をはらった。 料理には旬の材料だけを使い、食べ合わせが工夫された。牛肉と米飯、…
11代王・中宗(チュンジョン)には3人の妻がいた。最初の妻は父が燕山君(ヨンサングン)の側近だったために離縁させられた端敬(タンギョン)王后。2人目の妻は12代王・仁宗(インジョン)を産んですぐに亡くなった章敬(チャンギョン)王后。そして、3人目の妻が文定(ムンジョン)王后である。 文定王后が王を毒…
『七日の王妃』の主人公になっている端敬(タンギョン)王后は、わずか七日間だけ王妃になっていて、その後に廃妃(ペビ)となっている。なぜ、彼女は国王から離縁されなければならなかったのだろうか。 燕山君の異母弟 10代王の燕山君(ヨンサングン)は最悪の暴君だった。 王宮の中で酒池肉林に明け暮れ、官僚を大虐…
1762年、英祖(ヨンジョ)は息子の思悼(サド)世子を米びつに閉じ込めて餓死させた。なぜ、親子の確執が生まれたのか。当時、王宮の中でも派閥争いが激化していた。その中で、思悼世子を陥れるために彼の行状を英祖に悪く報告していたのが、老論(ノロン)派の連中だった。その中心にいたのが、英祖の継妃だった貞純(…