仁祖(インジョ)が1649年に世を去り、二男が即位して孝宗(ヒョジョン)になった。彼の治世は10年間続いたが、二男である自分を引き立ててくれた父に感謝し、その王政をほぼ踏襲した。 西人派と南人派の対立 孝宗は、父を恥辱に追い込んだ清(朝鮮王朝は1637年に清に屈伏していた)に敵意を持ち、政権内の清に…
イ・サンこと正祖(チョンジョ)は“親孝行の手本”のような王であった。彼は父である思悼世子(サドセジャ/米びつで餓死させられた)を心から敬慕し、その名誉回復に全力を注いだ。 城郭が完成した 正祖は、父に対して“荘祖(チャンジョ)”という尊号を贈った。形のうえでは王と同格になったばかりでなく、王の中でも…
燕山君(ヨンサングン)といえば10代王となった人物で、朝鮮王朝27人の王の中で最悪の暴君として知られている。彼は、いったい何をしてそう呼ばれるようになったのだろうか。 暴君の誕生 燕山君は、9代王・成宗(ソンジョン)の長男として1476年に生まれた。母親は斉献王后(チェホンワンフ)だが、彼女は王の顔…
朝鮮王朝には王妃が42人いたが、典型的な悪女だったのが文定(ムンジョン)王后と貞純(チョンスン)王后だ。2人は権力を握って悪行を繰り返した。こうした悪女と正反対で、一番の聖女と言われた王妃は誰だったのか。 洪国栄の野望 傑作時代劇『イ・サン』の主人公にもなった22代王・正祖(チョンジョ)。彼が側近と…
1623年、仁祖(インジョ)がクーデターを起こして光海君を王宮から追い出すとき、光海君の悪政として4つの点を糾弾した。果たして、その4つは正当な根拠があると言えるのだろうか。 骨肉の争いには前例があった 仁祖が光海君を糾弾した際の4点とは以下のとおりだ。 1.兄弟たちを殺した 2.多くの土木工事を行…
社会の隅々まで浸透した儒教の影響で、朝鮮王朝時代では男尊女卑の風潮がとても強かった。女性は親の遺産の相続権がなかったし、結婚生活では夫から理不尽に離縁を強制されても受けざるをえなかった。さらには、再婚の自由も奪われていた。 悪女にならざるをえない事情 朝鮮王朝時代では、女性は科挙の試験…
国王・英祖(ヨンジョ)の息子だった思悼世子(サドセジャ)と、高官・洪鳳漢(ホン・ボンハン)の娘であった恵慶宮(ヘギョングン)。2人は果たして、どんな夫婦だったのだろうか。 夫婦の息子は正祖 思悼世子と恵慶宮はともに1735年に生まれた。 2人は9歳のときに結婚した。 このとき、21代王…
朝鮮半島の南海に浮かぶ孤島の済州島(チェジュド)は、朝鮮王朝時代に流刑地として知られた。ドラマ『宮廷女官 チャングムの誓い』でも、濡れ衣を着せられて済州島に流されたチャングムが、そこで医療を学んで再起をはかるというストーリーになっていた。 本当に暴君? 実際に済州島に流された人の中で身…
1506年、燕山君(ヨンサングン)はクーデターで王宮を追われた。代わって即位したのが、燕山君の異母弟であった中宗(チュンジョン)だった。彼の妻の端敬(タンギョン)王后は堂々たる「国母(クンモ)」になったのだ。 復位を望む声 クーデターを成功させた高官たちは、端敬王后の廃妃を主張した。な…
写真=韓国KBS公式サイトより 韓国の芸能界において、ハ・ジウォンは独特なポジションを持っている。数々のヒット作を見てわかるとおり、彼女はどんな役を演じても、自分を完全に昇華できるタイプの女優なのである。 印象的な主演作 ハ・ジウォンが主役として鮮烈な印象を残したのがドラ…