「コラム」連載 康熙奉(カン・ヒボン)のオンジェナ韓流Vol.123 「『トンイ』で描かれない史実」

大妃の死

明聖王后は我が子の将来を憂い、その元凶となりそうな芽は早めに摘んでおきたいと考えた。
彼女はすぐに手を回して、張玉貞を宮中から追い出した。王として君臨する粛宗も、母の強い意志には逆らえなかった。
その明聖王后が長生きしていれば、張玉貞が日の目を見る機会は二度となかったはずなのだが……。

しかし、明聖王后は1683年に世を去った。まだ41歳だったが、我が子を溺愛する気持ちが死因の一つとなっている。
というのは、粛宗が重い病を患ったとき、お祓(はら)いの祈祷をした巫女(みこ)から“殿下には母様の悪霊がとりついています”と指摘され、自ら身を清めるための水浴びを繰り返した無理がたたったのである。粛宗のほうは全快しているので、母は自らの身を犠牲にして息子を救ったともいえる。
明聖王后が亡くなったあと、粛宗はただちに張玉貞を王宮に呼び戻した。
こうして張玉貞は粛宗の側室となり、以後は張禧嬪として権勢をふるうようになっていった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

 

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  • 2020.08.01