光海君の落ち度
光海君の外交戦術は功を奏し、彼の在位中に朝鮮王朝は安泰だった。
むしろ、光海君が追放されたあと、仁祖の統治時代に明に気兼ねして後金にさからい、その結果として手痛い侵攻を受けて後金に屈伏している。
朝鮮王朝は存亡の危機に立たされた。それに比べると、光海君の外交術のほうがずっと巧みだった。
最後の4について。
継母の仁穆王后を幽閉したことについては、光海君が責任を問われても仕方がない。「孝」を最高の徳目とみなす儒教を国教にしている朝鮮王朝では、継母とはいえ「息子」が「母」を処罰することがあってはならない。この点では、クーデター軍の言い分に一理あると言える。
光海君を追放して王位に就いた16代王・仁祖は、自らの正統性を強調するために、徹底的に光海君を悪者に仕立てあげた。しかし、光海君は暴君というより、名君と呼ばれてもいいほど政治的に卓越した手腕を発揮した。
それでも、仁穆王后の幽閉だけは間違えた。そのことでクーデターを起こされたとしたら、それは明らかに光海君の落ち度であったと言える。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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