再び王位に戻る日を夢見て
仁穆王后はずっと復讐に燃えていた。
彼女の命令を受けた官僚たちによって光海君は殺害されかけたが、未だに彼を慕っている者たちの協力があって、なんとか命を落とさずに済んだ。
1637年1月、朝鮮王朝は清に屈服し、仁祖は地面に額をこすりつけて清の皇帝に謝罪した。
この屈辱的な事件の後、光海君は済州島(チェジュド)に流された。
済州島といえば、極悪人が流罪となる南海の孤島である。
さすがに光海君も最果ての地まで流されたことに衝撃を受けたが、それでも光海君は生きようとした。
先王なのに屈辱的な扱いも受けたが、それにも耐えた。
結局、光海君は1641年に66歳で亡くなった。
家族が悲惨な最期を遂げた後でも、彼は再び王位に戻る日を願って必死に生きたのかもしれない。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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