「コラム」連載 康熙奉(カン・ヒボン)のオンジェナ韓流Vol.96「景福宮の正門の向きは?」

典型的な儒教国家

「王宮予定地の南側に災いを呼ぶ山がございます。それを避けるためにも、正門は東側に置くべきです」
僧侶はそう主張した。
一方、儒学者は以下のように反論した。
「王が南側を向いて政務を行なったほうが王朝が長く続きます。それだけに、正門は南側になければなりません」
ここまで意見が違うだけに、李成桂の悩みは深かった。けれど、周囲の者たちは李成桂が正門を東側に置くだろうと予想した。李成桂が熱心な仏教徒であるだけに、最終的に僧侶の意見を聞くだろうと思えたからだ。

しかし、李成桂が選んだのは「南側」だった。彼は僧侶より儒学者の意見に耳を傾けたのである。
これは非常に重要な意味を含んでいた。なぜなら、朝鮮王朝が仏教より儒教を重んじる姿勢を暗示していたからだ。
以後、朝鮮王朝は典型的な儒教国家になっていく……。
その先駆けとなったのが「光化門の南向き」だったのである。それゆえ、今も光化門を見ると感慨が深いのだ。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

2019.11.09