「コラム」連載 康熙奉(カン・ヒボン)のオンジェナ韓流Vol.96「景福宮の正門の向きは?」

南側を向いている光化門

ソウルに行く度に景福宮(キョンボックン)に行ってみるが、正門の光化門(クァンファムン)を見る度に「今は南向きだけど、もし東向きだったら……」と考えたりする。それは歴史的な出来事をいつも思い出してしまうからだ。

精気が宿る土地

朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)は、元は高麗王朝の将軍だった。
彼は高麗王朝を倒して新たに朝鮮王朝を創設したが、最初に決断しなければならなかったのは、都をどこにするかということだった。
高麗王朝の都は朝鮮半島の中央部に位置する開京(ケギョン/現在の開城〔ケソン〕)であった。地の利もよく王宮などの施設が揃っている、という点では、李成桂も朝鮮王朝の都をそのまま開京にするほうがはるかに便利だったことだろう。

しかし、李成桂は“高麗時代の影響が残りすぎている開京に安住していると新しい王朝の未来像が描けない”と思い、困難を承知で遷都する意志を固めた。
以来、風水師を動員して民族の精気が宿る土地を探した結果、白羽の矢を立てたのが漢陽(ハニャン/現在のソウル)だった。
漢陽は開京から南東に60キロ行ったところにあり、風水師が太鼓判を押すほど“気”が満ちた場所だった。その中でも特に“気”が集まる中心地に李成桂は王宮を建てた。それが、今もソウル最大の名所となっている景福宮である。
その建設は1395年から始まったが、当初は正門の光化門をどの位置に置くかで大激論があった。
というのは、李成桂の側近の間でも、儒学者と僧侶の意見が真っ二つに割れたのだ。

(2ページに続く)

2019.11.09