中宗(チュンジョン)/朝鮮王朝人物紀行3

朝鮮王朝27人の王の中で最悪の暴君と言われる燕山君(ヨンサングン)は、クーデターに王位を追われて、異母弟の晋城大君(チンソンデグン)が11代王・中宗(チュンジョン)として即位する。しかし、臣下たちに祭り上げられた王は最愛の妻との別れを迎えることになるのだが……。まず、中宗の人物像を見てみよう。

生没年/1488~1544年
父親/9代王・成宗(ソンジョン)
母親/貞顕(チョンヒョン)王后
妻/最初は端敬(タンギョン)王后、二番目は章敬(チャンギョン)王后、三番目は文定(ムンジョン)王后
息子/12代王・仁宗(インジョン)と13代王・明宗(ミョンジョン)

真夜中の襲撃者たち
暴君として知られる10代王・燕山君は、政務を疎(おろそ)かにして、連日のように酒や女に溺れていた。国の財源を使って豪遊する燕山君の暴政は、庶民の生活を圧迫していく。反乱が起こるのも当然だった。
1506年、臣下たちの間で打倒・燕山君を掲げた大規模な反乱が起こるが、やみくもに反乱を起こしては非難される可能性もあった。そこで、反乱軍が掲げた大義名分が燕山君の異母弟である晋城大君を王にするというものだ。もちろん、晋城大君はそのことを一切知らなかった。
事件当日、反乱軍は燕山君を討伐する部隊と晋城大君を保護する部隊の2つに分かれた。何の前触れもなく屋敷を囲む武人たちの姿を見た晋城大君は、兄が自分を殺そうとしていると思ってしまう。
抵抗の無意味さを感じた晋城大君は、せめて自ら命を絶とうとする。晋城大君の命を救ったのが、彼の妻である端敬(タンギョン)王后だ。


彼女は一向に攻め入らない武人たちに違和感を覚えたのだ。冷静な妻の判断が、晋城大君の命を救ったのだ。
一方、家の中に招き入れられた兵士たちは、晋城大君に挙兵の説明をする。しかし、しん頑なに即位を拒むのだった。
(ページ2に続く)

 

中宗(チュンジョン)は時代劇で立派に描かれるが実際はダメな国王だった!

中宗(チュンジョン)はあまりに優柔不断すぎる王だった!

中宗(チュンジョン)はどのようにして即位したのか

『七日の王妃』の端敬(タンギョン)王后と中宗(チュンジョン)の「別れる理由」とは?

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2019.09.19