日韓の二千年の歴史24/途絶えた交流

 

易地聘礼を提案
松平定信が朝鮮通信使の招聘に消極的だった理由がもう1つあった。当時の著名な儒学者だった中井竹山の思想に影響されていたのである。
1789年に中井竹山が松平定信に献じた『草茅危言(そうぼうきげん)』の中に“朝鮮の事”という項目がある。
主たる内容は、「神功皇后の遠征以来、朝鮮は我が国に服従・朝貢していた。今は属国ではないが、莫大な経費を使って応接するには及ばない。慣例で使節が来ることを拒めなければ、沿道の諸大名の負担にならないようにすべきだ」というもので、朝鮮通信使には無礼が多いと断じて使節を対馬で応対する“易地聘礼(えきちへいれい)”を提案していた。
この主張には“神功皇后の遠征”が持ち出されている。中井竹山は『日本書紀』の記述を鵜呑みにしていた。

確かに『日本書紀』における神功皇后の章には、「神功皇后が神のお告げを受けて新羅に遠征。その地を征服したのちには百済と高句麗も服属させた」という内容の記述がある。おそらく時代背景は3世紀の設定なのであろう。
しかし、事実とは到底思えない。現代では“神話”とみなすのが一般的だ。
(ページ3に続く)

日韓の二千年の歴史23/雨森芳洲と申維翰

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2019.09.04