「コラム」日韓の二千年の歴史1/海を渡る人々

古代人の往来

古代の日本列島……人の往来はどうなっていたのか。
東からは誰も来ない。地球で一番大きな海が人を寄せつけなかった。
来るのは、北と南と西からだ。
特に、西から来る人が圧倒的に多かった。西には大陸の文明があり、列島を孤立させない半島があり、さらに、人々の渡海を助ける飛び石のような島々があった。

その地形は地球の奇跡と言っていい。とりわけ、半島の存在が大きかった。なぜなら、そこには大陸の文明を伝えてくれる人々が住んでいたからだ。
彼らは、続々と日本にやってきた。最初は稲作という生活手段を持ち込んできた。これが人口を激増させる要因となった。
次に、鉄器を運んできた。農業の発達や武力の整備をもたらした。
続いて、漢字や仏教を……。

ただし、一方通行ではなかった。列島からも大勢の人たちが海を越えて半島の南部に住み着いた。特に、九州北部から渡海した人たちが多かった。
彼らは、大陸の人たちから「倭」と呼ばれた。その漢字は「小さい人」「曲がった人」をさすが、大陸からすれば、「風俗がちょっと違う人間」くらいの意味合いだったのではないか。

半島の南部は居心地が良かった。倭人は貴重な労働力となり、地域の発展に貢献した。といっても、故郷の九州北部を忘れたわけではない。かくして、倭人は半島南部と九州北部を行ったり来たりした。
海は障害にならなかった。壱岐と対馬という中継の島があったことが大きかった。
当時の人たちが、「1500年もすると、パスポートという統治者が認めた身分証明証がなければ海を渡ることもできない」と知ったら、未来がどんなに不便に思えることだろうか。

パスポートは、海外に行ける便利な渡航証明書ではない。自分を国家に従属させる轡(くつわ)なのである。
古代人と現代人と、どちらが奔放な生活圏を持っていたか。それは言うまでもないことだ。国家の統治が厳しくなって人間が失ったのは「どこへでも行ける自由」だった。
その自由を持たない現代人が、古代の人々の往来を想像する。限定的にならざるをえない。
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2019.01.09