「コラム」康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓が知るべき歴史3/朝鮮出兵直後編」

12回来日した朝鮮通信使

家康の意向をくんだ対馬藩は、それまで以上に熱心に朝鮮王朝に働きかけた。
「家康が相手であれば関係修復を考えてもいい」
徐々に朝鮮王朝が軟化し始めた。
朝鮮王朝としても、日本と交渉をせざるをえない事情があった。戦乱の最中に日本に連行された人々は5万人にのぼると推定されたが、その人たちの家族から「早く連れ戻してほしい」という嘆願書が無数に届いていた。政権としても、日本と早めに和平を結ぶ必要があったのだ。

あれほど憎悪に満ちた関係に陥った両国だが、徳川幕府と朝鮮王朝の思惑が一致して、朝鮮通信使が1607年に江戸にやってきた。
両国は国書を交換して、正式な外交関係を築いた。
以後、朝鮮王朝と徳川幕府の間で信頼に基づく善隣関係が幕末まで続いた。その間に来日した朝鮮通信使は12回だった。
江戸時代の日本は鎖国体制を強化して国を閉ざしたが、朝鮮王朝とは唯一の国交を結んでいたのである。

文=康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人2世。韓国の歴史や日韓関係を描いた著作が多い。最新の著作は『朝鮮王朝と現代韓国の悪女列伝』。

コラム提供:ロコレ
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2017.07.02