「コラム」康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓が知るべき歴史3/朝鮮出兵直後編」

徳川幕府の「正統性」

徳川家康は、征夷大将軍になって1603年に江戸幕府を開いた。念願をかなえた家康にとって、最後の望みは徳川家が将軍職を代々引き継ぐことだった。
障害がまだ多かった。気掛かりなのは、豊臣秀吉の遺児の秀頼が大坂城にいることであった。
豊臣恩顧の大名たちが秀頼をかついで幕府に反旗をひるがえすことも十分に予想された。なにしろ、徳川幕府には政権の正統性に疑問符が付いていたからだ。
「豊臣家の内紛にかこつけて政権を横取りした」
それが当時の日本人の率直な心情であったことだろう。

「幕府を磐石にするためにも正統性がほしい」
そう願った家康が着手したのが朝鮮王朝との関係修復だった。
彼にしてみれば、国内をまだ完全に統治できない間に、隣国とこれ以上のもめごとを起こしたくなかった。
さらに前向きに考えれば、朝鮮王朝と和平を結べば、徳川幕府が外国から正式な政権として認められることを意味していた。
これこそがまさに「正統性」だった。(ページ3に続く)

2017.07.02