「個別インタビュー」世界が絶賛「マダム・ベー ある脱北ブローカーの告白」の新鋭ユン・ジェホ監督が伝えたいこと「人の出会いに壁はない」


-マダム・ベーさんに密着しようと思ったのはどうしてですか?
2013年に、劇映画のシナリオを完成させるため、中国にいる脱北者のインタビューをしようと中国に行ったとき、その手伝いをしてくれるガイドがマダム・ベーだったんです。ある日、彼女に中国で一緒に暮らす家族のところに案内され、彼女について少しずつ知るうちに、なぜそういう生活をしているのか気になって、いろいろ聞いていたら、彼女のほうから、「私の映画を作らないか?」と提案してきたんです。ただ、それを撮ってはいたものの、映画化しようと決めるまでに、2年ぐらいかかりました(笑)。
-マダム・ベーさん本人はいいとしても、ご家族もよく承諾されましたね。
むしろ、彼女のほうが、家族をこの映画に協力するよう説得してくれました。基本的に僕のほうから、「撮らせてほしい」と許可を求めたことはほとんどありませんでしたね。一応、撮影にあたって、「僕がいないものと思って、普段通り生活してください」と言いましたが、それを言う前と言った後で、さほど変わっていなかったし、インタビューをお願いしたときも、みんな積極的に語ってくれました。
-息子さんがすごく正直な胸の内を語っていますよね。それぐらい、マダム・ベーさんの家族が、監督に心を開いていたんだなという印象も受けましたが。
実際に彼らと長い時間を過ごしましたからね。長く過ごした分、撮ったフイルムもけっこうあります。
-それを約70分に編集されましたよね。
けっこう難しかったです(笑)。あまりにもたくさんの内容があったので。1つのエピソードを作るために、かなりの時間を費やすことになりました。
-監督はマダム・ベーさんの中国の家族、韓国にいる北朝鮮の家族、どちらにも会われていますから、同じように情が沸いたと思いますが、中間の立場にいて、どんなことを思いながら、カメラを回していたんですか?
撮影しながらすごく悲しくて、憂鬱でした。大変でした。旅を経た後に、自分のアイデンティティに対しても悩んだし、「絶対にこの映画を作らないといけないのか?」と諦めようと思ったことも何度もあるし…。精神的にすごく大変でしたね。

-そのつらさはどうやって克服していったんですか?
ハハハ。どうしたかなぁ~。よく分からないですね(笑)。自然な流れに身を委ねました。
-中国のご主人とバス乗り場で別れるシーンでは、マダム・ベーさんがバスの中で涙をぬぐう姿が印象的でしたが、監督はカメラを回しながらどんな思いだったんでしょうか?
実はそのバスが、タイ・バンコクまで行くとは知らずに乗ってしまって、どういう状況かよく分かっていない、ボーッとした状態だったので、彼女が涙を流すのを見ながら、なんで悲しいんだろうと(笑)。あまり深く考える余裕はなかったですね。その後も、旅の中で悲しみとは何か、という定義については考えましたが、彼女に途方もない質問をしたことはなかったと思います。
-そのバスから長い旅が始まりますが、旅の中では何が一番大変でしたか?
山登りです。12~13時間山登りをしたので。そのときは、雨が降った後だったのか、歩くときに滑ってしまって、足のケガもしたし、かなりつらかったです。でも、みんなに助けられましたね。お互いに頼り合って、ブローカーが僕のかばんを持ってくれたり。ただ人間って、どんなに危機が迫ってきたとしても、進むべき道が1本しかなければ、何があっても、その道を進むんだなってことを実感しました。
-人間の強さを感じますね。
そこまでは分かりませんが、むしろ、人間の弱さを感じますね(笑)。
-映像では「ご飯ぐらい食べたい」と言っている場面もありましたが、食事はどうされていたんですか?
ご飯は食べられませんでした。りんごとか水を分け合ったぐらい。たぶん、りんご1切れが全てだったんじゃないかなと思います。

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2017.06.01