「個別インタビュー」世界が絶賛「マダム・ベー ある脱北ブローカーの告白」の新鋭ユン・ジェホ監督が伝えたいこと「人の出会いに壁はない」

2016年の「カンヌ国際映画祭」ACID部門に正式出品されたほか、「第38回モスクワ国際映画祭」と「第12回チューリッヒ映画祭」で、最優秀ドキュメンタリー賞を受賞するなど、世界の映画祭で絶賛されたドキュメンタリー映画「マダム・ベー_ある脱北ブローカーの告白」。

本作の主人公は、家族のため1年間だけ出稼ぎするはずが、騙されて中国の貧しい農村へ嫁として売り飛ばされた北朝鮮の中年女性B(ベー)。中国と北朝鮮の2つの家族を養うため、脱北ブローカーとなり、北朝鮮に残した子供たちを脱北させ、自らも韓国へ渡る道を選ぶ。カメラは、彼女の過酷な脱北の旅、命からがらたどり着いた韓国での苦しく辛い日々、母そして女としての葛藤など、彼女の数奇な運命と貪欲に生きる姿を追う。
この名もなきマダム・ベーの生き様を記録したのは、フランスと韓国を拠点に映画製作し、これまでに5本の中短編映画が「カンヌ国際映画祭」に出品され、いま最も注目される新鋭ユン・ジェホ監督。
ことし3月に開催された「第12回大阪アジアン映画祭」で、日本初上映されて話題を集め、いよいよ6月10日(土)より東京・渋谷シアター・イメージフォーラムほか、全国順次公開となる同作のユン・ジェホ監督に、作品の誕生秘話や、韓国への脱北の道中に密着した壮絶な撮影エピソード、当時の心境などを聞いた。

-ユン監督は現在フランスと韓国を拠点に映画製作をされていますが、大学在学中の2001年にフランスに留学されたそうですね。
当時、20歳だったんですが、釜山生まれで、それまでほとんど、釜山から離れたことがなかったんですね。それで、世の中がとにかく嫌で、どこでもいいから逃げ出したいと思って、インターネットでいろいろな世界の都市を調べているときに、偶然目に留まったのがフランスの都市だったんです。
-フランスでは13年ほど生活されたとか。
それまで自分が気付かなかった、いろいろな目覚めを経験しましたね。フランスにいる間は、いろいろな意味で目覚めました。
-それが映画作りということですか?
映画は、2003年ぐらいに芸術学校に入学したんですが、そこで出会った友達がフランスの古典映画や、ジャン=リュック・ゴダール監督作品のDVDをたくさんくれたんですよ。それを見ながら、“こういうものが世の中にあるんだ”とカルチャーショックを受け、自分でも作りたいと思うようになりました。
-「マダム・ベー ある脱北ブローカーの告白」は、国際的にも高い評価を受けていますが、この作品を通して伝えたかったことは何ですか?
この作品は、マダム・ベーという1人の女性であり、母であり、そして、自分の夢を追っていく人間の物語です。マダム・ベーが抱いている夢というのは、決して大きな夢ではないです。私たちが普通に手に入れたいと思う一般的な幸せなのに、それが不可能な状況に置かれるのを見ながら感じる、ほろ苦さ。そのほろ苦さはどこからくるのか? 誰にでもくるものだというメッセージを伝えたかったし、彼女たちの日常を見せることで、彼女たちの人生もまた、普通の人間の暮らしだということを見せたいと思いました。

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2017.06.01