張禧嬪の栄光と転落
欲望を抑えきれずに王妃を狙った張禧嬪。邪魔になるのが仁顕王后である。張禧嬪は、いろいろと策をめぐらして仁顕王后を正室の座から追い落とすことに成功して、念願の王妃になった。
ただし、彼女の栄華は長く続かなかった。
政治派閥の権力闘争が激化し、支持基盤が弱体化した張禧嬪は、1694年に王妃の座から側室に降格した。それによって、再び仁顕王后が正室の座に返り咲いた。
このように、せっかく王宮に戻ってきた仁顕王后だったが、もともと病弱で、1701年に亡くなった。
そのとき、張禧嬪が神堂を建てて仁顕王后を呪い殺そうとしていたことが発覚。張禧嬪は重大な罪に問われて死罪になってしまった。
この時期には、もう1人、重要な女性がいた。
それが、粛宗の愛した側室の淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏である。ドラマ『トンイ』で主人公になった女性だ。
この淑嬪・崔氏が産んだ息子がのちの21代王の英祖(ヨンジョ)である。
英祖が生まれたのは1694年だが、実は淑嬪・崔氏は前年の1693年にも粛宗の息子を産んでいる。それが永寿君(ヨンスグン)である。(ページ3に続く)