第3回 仁祖はどんな王だったのか
光海君(クァンヘグン)が廃位となったことで、16代王・仁祖(インジョ)となった綾陽君(ヌンヤングン)。しかし、彼は王として非常に辛い人生を歩むことになる。いったい何があったのだろうか。
王としての試練
綾陽君が仁祖反正(インジョパンジョン)というクーデターを起こして光海君を廃位にし、仁祖として即位したのは1623年のことである。
その1年後の1624年、彼の忠臣である李适(イ・グァル)が内乱を起こした。これが仁祖にとって最初の試練となった。仁祖は報告を受けるも、李适のことを信頼していたため、裏切りを一向に認めようとしなかった。しかし、李适が実際に都に向かって進軍してくると、仁祖は慌てて都から逃げだした。その行動を見るかぎり、李适のことを本当に信頼していたとは思えない。
その内乱はなんとか収束させたものの、さらなる試練が仁祖を襲う。1627年に女真族がつくった後金という国が3万の兵を率いて攻めてきたのである。仁祖は江華島(カンファド)へと避難するが、武力で太刀打ちできないと知ると、講和会議で後金の怒りを鎮めようとした。
その結果、朝鮮王朝側は後金を支持することにして、宗主国の明に肩入れしないと約束させられた。(ページ2に続く)