仁祖が受けた屈辱
1636年、国号を清と改めた後金は「君臣として従属してほしい」と求めてきたが、朝鮮王朝側はそれを拒否した。
それに激怒した清は、12万の大軍を率いて再び朝鮮半島に侵攻した。このときも仁祖は江華島へ避難しようとしたが、清によってその道はすでに封じられていた。それを知った彼は、漢江(ハンガン)の南に位置する南漢(ナマン)山城で籠城を開始した。
しかし、この籠城は仁祖にとって非常に辛いものとなった。なぜなら、籠城するさいに重要となる食糧が少なく、固い床で寝なければならなかったからだ。その間も清の軍勢は都で略奪と放火を繰り返していた。そのため、まさに国家存亡の危機を迎えていたのである。
結果的に降伏せざるを得なくなった仁祖は、清の2代皇帝・太宗(テジョン)の前で土下座より屈辱的な謝罪をした。それは、3回ひざまずいて9回頭を地面にこすりつけるというものだった。朝鮮王朝の王は27人いるが、これほどの屈辱を受けた王はほかにはいない。(ページ3に続く)