光海君はクーデターで廃位にされた王ということで、かつては暴君というイメージが先行していました。しかし、その後の歴史研究が進んでくると、「そうではないのではないか」と評価が変化してきました。果たして、実際の光海君はどのような王だったのでしょうか。
庶子出身の王
光海君の父親は14代王・宣祖(ソンジョ)です。彼は朝鮮王朝で初めて側室から生まれた王でした。13代王までは、すべて王の正室から生まれています。それが嫡子なのですが、宣祖の場合は庶子になります。
朝鮮王朝には厳しい身分制度があり、庶子出身の人は、ほとんど出世できませんでした。そういう庶子から王になったということで、宣祖は大変なコンプレックスを持っていました。
それだけに、自分が指名する世子(セジャ/王の正式な後継者)は正室が産んだ息子を当てたいと思っていたのですが、宣祖の正室は身体が弱くて子供ができなかったのです。結果的に、側室が産んだ息子の中から選ばざるを得ませんでした。
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