宣祖が長生きしていれば……
一方の光海君。彼は地方で義勇軍を組織して戦功をあげました。これによって光海君はどんどん評価を高めて、彼の立場は磐石になったのですが、戦乱が終結しても明からの許可がまだ出ませんでした。明は「なぜ年長の臨海君を第一に考えないのか」と疑問を呈していたのです。
宣祖は光海君を世子に指名したあとも、実はまだ嫡子にこだわっていました。最初の正室が亡くなった後、彼は仁穆(インモク)王后と再婚しました。
その仁穆王后が、1606年に宣祖の嫡子を産みます。それが永昌大君(ヨンチャンデグン)です。宣祖が長生きしていれば、仁穆王后が産んだ永昌大君が光海君に代わって世子になっていたことでしょう。
しかし、宣祖は1608年に世を去ってしまいました。
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