韓国時代劇『華政』に登場する光海君と仁穆王后。2人は形のうえでは母と息子なのだが、激しく敵対した。その理由は何だったのだろうか。
兄弟同士の王位争い
1608年に14代王・宣祖(ソンジョ)が世を去ると、後継者をめぐる争いが起きた。すでに「跡継ぎは光海君で決まり」という流れだったが、兄の臨海君(イメグン)を支持する一派も巻き返しを狙っていた。そんな折り、中国大陸で巨大帝国を築いていた明も、後継者問題に憂慮を示した。
明といえば、朝鮮出兵のときも援軍を送ってきてくれた大事な後ろ楯。朝鮮王朝も明の意向になかなか逆らえない弱みがあった。明は後継者問題の調査のために使者を派遣すると朝鮮王朝に伝えてきた。
光海君の一派は、臨海君が明の使節を利用してクーデターを起こすことを恐れ、機先を制して明の使節が来る前に臨海君を配流した。こうして光海君の15代王の座は安泰となった。(2ページに続く)