絶対に恨みを晴らしたい
「(光海君は)同じ空の下で一緒にいられない仇である。私が直接、その首を切り落としたい」
「私のために復讐してくれるのが孝行というものではないのか」
「母子の道理を破ったので、私は絶対に恨みを晴らさなければならない。これだけは、絶対に譲ることができないのだ」
仁穆王后は激烈な言葉を仁祖に何度もぶつけたが、仁祖は最後まで仁穆王后の言葉に従わなかった。先王を殺したりすれば、自分が後世で暴君扱いされることが目に見えていたからである。
結局、光海君は流罪となって斬首を免れ、1641年に流罪先の済州島(チェジュド)で世を去った。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
コラム提供:ロコレ
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