「コラム」第11回 朝鮮王朝の建国 /康熙奉(カン・ヒボン)の「簡潔に読む!韓国の歴史」

ハングルを作った世宗

1398年、李成桂が病床にあるとき、芳遠は異母弟の芳蕃と芳碩を殺害し、王朝の実権を掌握した。しかし、内外の批判を避けるためにすぐに王位につかず、まずは兄の芳果を第2代の国王につけた。そして、慎重に情勢を見極めたうえで、1400年に第3代の国王となった。

一方、すでに退位していた李成桂は芳遠を憎み続けたが、最後は信頼する学者の忠告を受け入れて芳遠を許し、1408年に73歳の生涯を閉じている。

世継ぎをめぐって最初から骨肉の争いがあった朝鮮王朝。その前途は不安だらけだったのだが、名君の誕生が王朝の基盤を磐石にした。その名君とは、芳遠の息子で第4代の国王となった世宗(セジョン)である。

彼の治世は1418年から1450年までだが、その間、国政を安定させ、ハングルの創設も主導した。今や韓国の小学校に行けばかならず世宗の銅像があるし、1万ウォン紙幣の肖像画も彼が飾っている。

あまりに大物すぎて彼をドラマで描くのはおそれ多い雰囲気があったのだが、2008年にはようやくKBSがドラマ『大王世宗』を放送し、人間味あふれる名君の姿を詳しく追っていた。

このドラマを通して、世宗の人気は韓国でますます高まった。

 

文=康 熙奉(カン ヒボン)
コラム提供:ロコレ
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2016.11.04